カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の35件の記事

2020年3月19日 (木)

ダイエットのこと2

去年の11月末にぎっくり腰になり、その折のべつまくなしに指トレをしたおかげで肘を痛めた。

今も治っていないのだが、少しずつ回復しているようだ。

さて、故障してすぐの頃はほぼクライミングができなかった。

すると体重が増えた。特にヤケ食いや暴食したわけではないのだが、少しずつ増えていく。

最初は気にしていなかったが、2ヶ月経った1月末、65kgを超えたところで(これはイカン)と思い、ダイエットを始めた。

まず、アマゾンで体重計を買った。

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体脂肪率や筋肉量、おまけに肉体年齢も計ってくれる。いつも35才。機械におだてられてるような…

そしてスマホで体重を記録するようにした。

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緑線が体重、青線が体脂肪率。

毎朝起きた時に計るようにしているが、週2度泊り勤務があり、その時は帰宅時に計る。

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この1ヶ月は62kgと61kgを行ったりきたり。

61kgを切るのは難しい。

2ヶ月やってみて分かったが、食事制限だけで体重を落とすのはだいぶ難しい。空腹に抗うのはかなり強い意志が必要。

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上図の棒グラフの突出している日はジムや岩でクライミングをした日。

クライミングした後はたいてい体重が落ちている。していない日は意識して食事を減らしていても少しずつ体重は増える。

これはたぶん、クライミングで運動したから痩せたのではなく、単にクライミングする日は食事量が少ないからだと思われる。

ジムに行く日は夕食がかなり遅くなり、そんなに食べられないし、休日に外岩に行く時はお菓子を少し食べるくらい。

逆にジムに行かない日は夕食は19時頃、まあまあ腹いっぱい食った上に、その後もついついなにか食べてしまう。

運動で体重を減らすのはかなり大変で、1kgの脂肪、7000kcalを燃焼するには大体フルマラソン3回らしい。

1時間ウォーキングしても消費カロリーは140kcal、ごはん1杯にもならない。

10km走っても消費カロリーは600kcalで、焼きそばUFO食べたらチャラである。

普通の人なら一時間歩くよりもごはんを減らす方を選ぶだろう。

私の場合、クライミングした後に体重が落ちるのは、食事量も減る上に、空腹状態で運動しているせいもあると思う。

私は朝食はいつも食べず、昼食もなるべく500kcal以内、300kcalくらいに抑えるようにしている。

帰宅時には結構お腹が減っている。ジムに行かない日はそのまま夕食だが、ジムに行く日は空腹のままクライミングをする。クライミングをしていると空腹は気にならなくなる。

体はこの時たぶん貯えた脂肪を使っていると思う。(同時に筋肉も痩せてると思うが)


今日、近くの整骨院で初めてInBodyで計ってもらった。

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結果は可もなく不可もなく。まあ、思ってた通り。意外だったのは上半身に比べて下半身強度が発達していること。

山登りをしなくなり、いつも湯船で(足細くなったな〜)思ってたので。


そして家の体重計の体脂肪率はかなりウソだとわかった。

ま、N出さんはInBodyもだいぶ誤差があると言うてたけど。目安程度やな。


ここんとこようやく体重が落ちてきた。ジムに行けるようになったしな。以前のように強度の高いトレーニングは無理やけど、故障が治ったらジムの頻度も増やせるし、そうなれば体重もそれほど気にしなくても維持できるだろう。

まずは無理をしないでコンディションを整えることやな。

2019年12月19日 (木)

みかん畑

みかんを食べていて、ふと思い出したことがあった。

もう15年以上前、私は「だんぢり祭」で有名な岸和田市に住んでいた。

故あって仕事を辞めて無職の時期があった。私は体質的に寝付きが悪く、寝起きが悪い。ので、予定のない休日は前日朝方まで起きていて、目覚めたら夕方、なんてことになりやすい。

容易く昼夜逆転生活に陥ってしまい、そうなると社会復帰が難しくなると考え、私は仕事をしてなくても朝5時に起きる、と決めた。

その頃の私はまだクライミングと出会っておらず、山登りに夢中だった。早起きして毎朝山登りをしようと考えたのである。

私の住んでいた岸和田は海も近いけど山も近い。自転車で麓まで走って和泉葛城山や岩湧山によく登った。

同じところを登るのは飽きてくるので、そのうち登山道から逸れて登ったり、地図で目的地を決めて無理やりヤブ漕ぎしたり、敢えて地図を見ないで疑似遭難したりして毎朝楽しんでいた。

そのうちうろつくフィールドは先の和泉葛城山や岩湧山から、その前衛に当たる神於山付近に変わった。神於山は300mに満たない低い山だが、雑木林が多くて彷徨っていて楽しい。

また、里から近いせいか、森の中にも関わらずふと苔に覆われた石垣や、錆びた機械が唐突に現れて、それも楽しかった、

また、標高が低くてなだらかな箇所が多く、そういう所は地図を見ていても分かりにくく、現在地をよくロストし、疑似ではなく本当に迷ったりした。

今ではGPSがあり、すぐに現在地が分かるが当時はそんな便利なものはない。迷ってしまうと一抹の不安と何故か湧き出るワクワク感。

しかし「遭難」しても無理やり下りていけば一時間ほどで道路に出る。昼にはハローワークに行かないといけない。あまり楽しんでばかりもいられないのだ。


そんな感じでまた森を彷徨っている時。ふと、視界が開けた。漂う甘い香り。みかん畑だった。ちょうど冬で実がなっていた。

しかし、もう長い間放置されているようで、全く手入れされておらず、実もたくさん落ちている。これ幸いと10個程甘いみかんをいただき、下山した。

その後「秘密のみかん畑」に再び訪れようとしたのだが、結局一度も行けずじまいだった。

そのうち就職し、徘徊はしなくなった。あれから随分経った。あのみかん畑は今でも人知れずこの時期には甘い香りを漂わせているのだろうか。


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2019年8月15日 (木)

赤いサンダル。

赤いサンダルを買った。

赤は好きな色だが、派手なので身につける物を買う時には選ばない。

大抵無難な黒か茶、グレーがほとんど。

それがなぜか、昨日は赤を選んだ。


気持ちを奮い立たせる無意識?

もがいてるな、と自分で思う。

心に空いた穴。

時間が解決してくれるのは解っている。

辛抱、辛抱。


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2019年7月12日 (金)

転機 19年7/12

さて。久しぶりのブログ。なかなか大変だった。

人生、いろんなことがある。


ようやく、落ち着いてきた。かな?峠は越えた感じ。

新たな生活にも徐々に慣れていくだろう。

少しづつ、戻していこう、思う。

焦りは禁物。

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2019年2月16日 (土)

インフルエンザ&ノロウイルス

こないだインフルエンザに罹り5日間寝込んでいたが、今度はノロウイルスに感染、またも寝たきりに。

インフルエンザ時はムスコが受験前で実家へ強制隔離だったが、今回は自室で。しかし感染力が強いらしいので、気をつけないといけない。

昨日の朝、起きた時に激しい腹痛、吐気があり、熱もあった。
職場に欠勤の連絡を入れ、お医者に行くと「ノロやね」と簡単に言われた。
早く治すためには絶食がいいらしい。おお、得意分野だ。
何でもちょこちょこ食べてしまうので治りが遅くなるらしい。私の場合、24時間以上経った今でも全く食欲がわかない。ずっと腹が痛く、気持ち悪い。別に絶食言われんでも全く何も食べられない。

インフルエンザ以降、なかなか体重が落ちなかったのでちょうど良かったのかもしれんな…

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2019年1月 2日 (水)

2019年正月。

大晦日の夜中。家族で近くの神社へ二年参りへ。

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ムスコはおみくじを引くも凶。
ただ、零時前だったので“昨年の運”ということにし、零時を過ぎてもう一度引く。次は吉。喜んでたし、ま、ええか。

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元日、昼前から私の実家へ。母や弟達と新年礼拝へ。

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実家へ戻り、昼食。正月はいつも私の好物が勢揃い。
この時ばかりは体重のことを忘れて食べまくる。

夕方帰宅、あれほど食べたのに夕食も食べる。
おかげで体重、急増加。そらそうやわな。

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さて、2日からまた仕事、がんばろ。

2018年8月21日 (火)

怪談話。

ふと、思い出した話。

もう、20年以上前。私は父の経営する製版会社で働いていた。
とある夏の週末、社長(父)と福岡へ出張に行った。
用事は土曜日だけで終わったため、社長は日帰りで帰り、私は折角なので一泊して翌日曜日に帰ることにした。

社長と別れ、一人になった。さて、どうしよう。
一泊するといっても、私の財布には帰りの新幹線のチケットと2~3000円程しか入っていない。
ホテルで宿泊などとはもとより考えていない。私は“ノジュカーズ”だから大丈夫なのである。
初めての地で土地勘もなかったが、適当に電車に乗り、窓から外を眺める。
ほどなく、海が見えた。なかなか良さそうである。
とても暑かったので泳ぎたかったのと、一晩過ごすための“野宿処”を決めておきたかった。

下車して海へ。10mほどの狭い砂浜。何隻か小さな漁船。誰もいない。気に入った。
早速パンツ一丁になって海へ。海は海藻が多かったが、水は綺麗だった。
クラゲに刺されながら、海水浴を楽しんだ。

やがて日が暮れた。月明かりでぼんやり海が見える。
波の音。独り。私は至福を味わっていた。
本当を言うと、小さな焚き火でもこしらえれば言うことなしなのだが、人目につくのはよろしくない。
浜辺の端に腰を掛けて、持ち歩いていた小さな懐中電灯の灯りで単行本を読んでいた。

突然、やかましい車の音がした。
車の音は、背後で私を通り越してすぐに止んだ。
やがて若い男性が何人か騒ぎながら砂浜に下りてきているようだった。
100mほど向こう。私は内心、ドキドキした。(からまれたりしたら、どうしよう)
やたらに陽気な騒ぎ声を気にしながら、私はじっとしていた。

競走しよう!という声が聞こえたと思ったら、一人の男が駆けてきて、私のそばで止まった。
全力疾走したらしい男は、膝に手をついて肩で荒い息をついていた。
私は上目遣いでその様子を見ていたのだが、ふと、男がこちらを向いた。
目が合う。
夜目にも分かるほど、男は驚愕の表情に変わった。
意味不明の叫び声をあげながら、近付いてきた時と同じく猛ダッシュで離れていき、向こうで大声で話し声がしたと思ったら、けたたましい車の音はどんどん遠くへ。

ほどなく、静寂が戻った。

想像なのだが、あの男は私を見て“見てはいけないモノ”と勘違いしたのではないだろうか。
あの時、私はちょうど股の所に懐中電灯を置いて単行本を照らしていた。
白い紙に反射して、私の顔がぼんやり浮かんで見えたのではないだろうか。

夜の砂浜に浮かぶ一つの顔。
怖い。
まさかそんなところで夜、独り読書してる奴がいるとは思わないだろう。


あの砂浜で幽霊話が語り継がれているのか非常に興味深いが、残念ながら確かめたことはない。

2018年5月23日 (水)

亀ちゃんのこと。

亀ちゃんはいい人だった。
ホントは“いいヤツ”と書きたいのだけれど、まだそれほど深い付き合いではなかった。
それが残念。
気遣いの人で、よく気が利き、さりげなくフォローを入れる。
また、その温かい性格・まろやかな風貌は、いるだけで場を和ませてくれた。
学年が同じで、共にガンダム世代。ガンダムネタを言い合ったりしていた。

亀ちゃんとの一番の思い出は、去年春に一緒に行った大台ヶ原の蒸篭嵓。

http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1267460/1285717/113795472
6ピッチ目の終了点で、偶然隣合わせになった。
亀ちゃんは、「チョリオさんが隣にいてくれて安心できました」と言っていたけど、実はあの時、私もずいぶんほっこりさせてもらった。


先日、亀ちゃんのお別れ会に出席した。
200人(?)の人が集まる盛大な会だった。
亀ちゃんがほんとに多くの人々に愛されていたことがよくわかった。
帰る間際、奥さんに挨拶。
意外なことに、奥さんは私のことを知ってくれていた。
しかも、私のややこしいフルネームまでも。
「主人から聞いていました。とても上手な方だと」
(まさか)
私は絶句し、涙が出そうになった。

亀ちゃん、アンタ、こんな時にまで喜ばせてくれんでええんやで、まったく。

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2018年5月22日 (火)

N澤さんのこと。

N澤さんのお別れ会に行ってきた。
お人柄が偲ばれる、とても良い会だった。
自身がまとめていたのであろう、今までの山行記録のファイルがあり、マメな方やったんやなあ、と改めて思った。

N澤さんは、山岳会には私より後に入ってこられたが、知り合ったのはもっと前である。
違う山の会で、入会したてで右往左往している私に、真っ先に声を掛けてくれたのが“つねぼー”と呼ばれていたN澤さんだった。

今の山岳会の黎明期。
私はクライミングというものに取り付かれつつあった。
しかし先輩はおらず、登りたいなら自分で何とかするしかなかった。
とりあえずグレードというものを体感したかった私は、当時のホームグランド(?)であった蓬莱峡のルートを端から登っては(これがⅣ級か~)などと一人で納得したりしていた。

その蓬莱峡の一番難しいと思われるルート(Ⅴ+)にトライした時のビレイヤーがN澤さんだった。
会の例会では自由に登れないから、たぶん早朝か、居残りか、はたまた昼休憩の時だったと思う。
私のワガママに、無理に付き合ってもらったのである。

少しハングした、脆い岩のルート。
ホールドしていた岩が欠け、私はフォールした。
これが外岩での記念すべき(?)初フォールだったと思う。
空中で止まって、しばし茫然。びっくりした表情そのままでビレイヤーのN澤さんを見る。
するとN澤さんも私に負けないほどの驚愕の表情で、私を見ていた。
N澤さんもまた、人の“本気墜ち”を止めたのが初めてだったのである。
降ろしてもらい、二人で怖かったな、無事で良かったな、と笑いながら話し合った。

その後、私はどんどんフリーにはまっていき、山登りの回数は減っていった。
ので、N澤さんとの山行はあまりない。
N澤さんと、もっとテント泊とかしたかったな。


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2017年12月23日 (土)

実家にて。

先日、父の追悼礼拝があり、実家に帰った。
ちなみに父が亡くなったのは2012年12月12日の12時。非常に覚え易いが、今は関係ない。

実家で懐かしい写真を見つけた。

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幼い頃の自分、

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45年以上経つとずいぶん変わるもんだ。

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もう1枚は兄と。


帰る時、母が私の好物を持たせてくれた。

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蒸し豚。大好物、大変嬉しいが、また体重が増えた…