カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の24件の記事

2017年7月20日 (木)

パソコン故障。

パソコンが壊れた。
起動して5分ほどで止まってしまう。
この記事はスマホで入力中。
そんなワケでブログ、滞ってます。
ご了承願います。

2017年6月23日 (金)

御礼。

いつの間にやら、カウンターが20万を突破していた。
甲子園4杯。
お越しいただいた方々、ありがとうございます。

タイトル、少し変えました。
以前、後輩に「チョリオさん、最近山、全然登ってませんやん」とツっこまれたので。
あと、カテゴリーも変更した。
やってみると手作業だった。地味に大変な作業で後悔しました。

これからもよろしくお願いします。

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2017年4月 3日 (月)

大阪対決!センバツ高校野球決勝~甲子園球場

高校野球を観に、甲子園に行ってきた。
決勝戦、勝ち上がってきたのは、履正社と大阪桐蔭、どちらも大阪の高校である。
金曜日に決勝戦が行われる予定だったが、雨で順延、おかげで観に行くことができた。

以前、入場規制で球場に入れなかったことがあり、きっと大変な混雑と考え、始発電車で甲子園球場へ。
小雨の降る中、5時半に到着。待っている人は3人くらいだった。
(そんなに気合入れんでもよかった…)

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ムスコは寝てしまった。

10時半、ようやく開門。レフトスタンドの一番前に陣取る。

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弟のユンオも到着。

そして、12時半、待つこと7時間(!)待ちに待ったプレイボール!

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大阪桐蔭、スーザホン11本。

大阪桐蔭の1番バッターがいきなりホームランでリード。
その後も桐蔭が加点し、7回まで3-0。
このまま逃げ切りか、と思われたが、8回裏に履正社が3点をあげ、同点に追いついた。

そして9回表、大阪桐蔭の攻撃。
1アウト2塁のチャンスで、絶対的エースである徳山君に代打を送る。
(すごい賭けやな…)
しかし、その策が見事に的中。
代打・西島君が値千金のツーランホームラン!
打球がちょうど我々のいるレフトスタンドに入るのを見て、全身鳥肌が立ち、私はかなりコーフンしてしまった。

その後も大阪桐蔭は加点し、裏の履正社の攻撃を抑えて、8-3で勝利、優勝。
点差はついたが、本当にいい試合だった。
勝負事に“タラレバ”は云々…と言われるが、もし、代打の西島君が凡退していたら…
いや、2点リードされても、後続を抑えていれば、裏に出てきたピッチャーはかなり不安定だったので、逆転もあったかも…

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なんにせよ、高校生がひたむきにプレーする姿は胸を打つ。
本当に、それを見るだけで清清しいし、なんだか泣けてもくる。

いや、いいもん見せてもろた。ありがとう。

こりゃ、夏も行かねばな。

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2017年3月10日 (金)

思い出したこと。

3月。
所属の山岳会では、次期新人のための体験講習会が行われている。
来月になれば、また新たな仲間が入会してくるのだろう。

私が入会したのは2010年7月。できたばかりの会だった。
そのできたばかりの会で、代表、会長をはじめ、会員全員が、なんとか良い会にしていこう、と情熱を燃やしていた。
初めてのことばかりだし、失敗はたくさんあった。
なにしろ、教える人間は少ないし、教えられる方はド素人だし、もう何もかもが手探りだった。

それでも全員熱心で、月2度行われていた例会の出席率は、ほぼ100%。
1回休んだだけで、「あいつ、病気ちゃうか?」と心配されるほどだった。
今では考えられないし、40名以上の大所帯となった現在、そんなことになったら、それはそれで大変である。

会には、いろんな人が集まっていた。
山の知識・経験豊富な人はもちろん、人を上手に使える人、段取りが上手い人、支点構築等のシステムに秀でた人、計算が得意な人、誰からも好かれる性格の人、笑わすのが上手い人…
みんな、自分の得意なことで、会に貢献していた。

そして私は。
これといった特技があるわけではなく、どちらかというと内弁慶で、人付き合いも上手くはない。
それでも、こんな自分でも、何か会の役に立つことができないだろうか?と考え、一つ、思いついたことがあった。

自分は、この会の“鉄砲玉”になろう、と考えたのである。
山行で怪しげな道に出たら、率先して偵察に出、やっかいそうな壁にぶつかったら、率先して試登してみる、という風な。
難しい壁なんかで、私が登れなかったら、「チョリオが登れないなら仕方ないな」と言われるくらいになりたい、と思った。

例会で、代表が見本を見せた後、「はい、誰かやってみて」と言った時は、できもしないけど、手を挙げた。
叱られたり、笑われたりもしたけど、それでも良かった。

今思えば、今よりずっと我が強かったのだと思う。
自分が役に立つ人間だ、と認めてもらいたかったのだろう。

あれからそれなりに時間が経った。次回の新人は7期生とのこと。
“鉄砲玉”のことなんてすっかり忘れていたけど、今日ふと思い出した。

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あの時から残ったのは4人。
会長mayumiさん、副会長A阪さん、レジェンドM田さん、相変わらずヒラのチョリオ。
すいません、おかげで好きにやらせてもらってます。感謝。

2017年1月24日 (火)

スマホ購入。

21日、土曜日、スマホを購入。
今さらながら、なのだが、ようやくスマホユーザーとなった。

しかし前に使っていたケータイからアドレスの移行がうまくいかず、名前が全部文字化け。
手入力し終わったのが日曜の夕方。やれやれ。

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前のケータイ。私の荒い使用でも、全く壊れず。
そういや郵便バイクで轢いたこともあったなぁ。
2010年から6年以上使い続けた。ご苦労さん。

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新しいスマホ。壊れないことを祈ル。

とりあえず、電話のかけ方と、メールの使用法だけ覚え、“ライン”とやらを設定してみる。
こっちがまだ設定中やのに、なんやいっぱい友達申請?やらが舞い込んで来る。
あー、大変。

ずいぶん前から年賀状も書かなくなったし、こっちは音信不通なんで、きっと懐かしかったのだろう。
10年以上見ていない後輩やら、すぐに顔の思い出せない方からいっぺんに連絡が入る。
まあ、皆さん、元気そうでなにより。
次はなんだっけ?そう、“フェイスブック”やな。


スマホ、使い方がまだ全然ワカランのだが、ぼちぼち慣れていくしかないな。
あー、メンドクサ…

2016年12月16日 (金)

フィルム写真のこと。

昨晩、寝る前のウトウトしている時。
最近なら大体「ドルフィン」のムーブ(日にちが経ってだいぶ定かではなくなっている)のおさらいをしているのだが、昨日は「カメラのキタムラ」の店員が出てきた。

このキタムラの店員は、私が写真に夢中になっていた頃、お世話になった方で、随分迷惑も掛けた。
写真を始めた頃は、プリントを店でやってもらっていた。
自分の思っている色でなかった時は、やり直してもらった。
3度、やり直してもらったこともあった。
やり直しは無料である。店員は泣きそうな顔になっていた。
プリンタを買って、自分でプリントするようになってからは、店ではフィルムの現像のみ頼んだ。
きっとあの店員は、ほっとしていたに違いない。

「あの店員」と言っているが、キタムラには勿論、何人か店員がいる。
しかし、私の相手をするのは、決まって「あの店員」だった。
初めの頃は当然、色んな人が対応していたと思うが、あまりよく覚えていない。
いつの間にか「あの店員」が私の担当になっていたようである。
恐らく私が難癖をつける「邪魔くさい客」だったので、気の弱そうな、しかし爽やかな笑顔の兄さん・「あの店員」が、私の担当に押し付けられたのだろう。

当時、私は“銀塩フィルム”にこだわっていた。
別にデジカメでも良かったのだが、機材を再び買い揃える資金がなかったのと、“潔くない”という点で、フィルムカメラを使い続けていた。
デジカメの何が“潔くない”か。
それは、後の加工がいくらでもできてしまう点である。
今はきっと、デジカメも技術が進歩して、加工しなくても、ほぼイメージ通りの写真が撮れると思う。
しかし、以前のデジカメは、後の加工が当たり前だった。
私は広告の仕事をしていて、写真の加工はまあ、人並み以上にできる。
一応、プロだったわけだし。
しかし、それができてしまうと、写真が“嘘”になってしまう、と、そう考えたのである。

人の“イメージ”は結構、都合良く変わってしまう。
それが良い思い出ならば、特に。
(あの時の景色はもっと、素晴らしかった)
(夕焼けはもっと、赤かった)
(空はもっと、青かった)
そんな色、憶えていられるはずはないのに。

その点、フィルム、特にラチチュード(露光の範囲)の広いネガフィルムではなく、狭いポジフィルムは、かなりシビアである。
ラチチュードが狭いが故に、コントラスト(明暗差)が強くなってしまうが、私はその点も気に入っていた。(被写体にもよるが)

そしてフィルムは、現場で確認ができない。
(ひょっとしたら、失敗しているかも知れない…)というドキドキが、現像が仕上がるのを見るまで続くのである。
家で、ライトに照らされたフィルムを見る時のドキドキ感。
その時、思い通りに写っていた時の喜びは、フィルムならではと思う。


ちょっと戻って、再びキタムラの「あの店員」。
現像の上がったフィルムを最初にじっくり見るのは、もちろん家だが、実は一番最初に見るのは、お店である。
本当にこのフィルムですか?の確認をするのである。

10本現像を頼んでいたら、店員が「このフィルムですか?」と1本をライトアップして見せてくれる。
合っていたら「間違いないです」と答え、後の9本は見たい人は見ればいいし、別に確認不要ならそのまま持って帰る。
私はいつも、1本だけ見て、他はフィルム番号のみ確認していた。

その見せてくれる1本。
「あの店員」はいつも、私の「自信作」の1本で確認するのである。
勿論、店員に私の自信作が分かるはずがないのだが、決まってそうだった。

きっと、「あの店員」は、私の撮ったフィルムを全部、見てくれていたのだろう。
そして一番よく撮れているフィルムを選んでおいて、それを確認の1本にしてくれていたに違いない。
嬉しかった。
そのうち、「よく撮れてますね」とか「これ、どこなんです?」と声を掛けてくれるようになった。
話すのが苦手な私は、きっと無愛想だったに違いない。


寝る前に「あの店員」が出てきたのは、きっとジム終わりにみゆさんと少し写真の話をしたからやな、きっと。


さっき久しぶりに、厳冬期の蝶ヶ岳に登った時のアルバムを見た。
朝陽を浴びて紅く染まる穂高の峰々。
“一度でいいから見てみたい”と念じていた景色。
その、圧倒的な景観を前に、シャッターを押し続けた。
分厚い手袋だと露出調整やらが上手くできなくて、素手で写真を撮り続けた。
そのうち、指先が痛くなっても(指一本くらいなくなってもいいや)と本気で思っていた。
痛さからか、感動からか、泣いていた。それも号泣である。
若い。
あの頃の写真への情熱。雪山への情熱。今はもう、ない。
でも、写真を撮るのは好きだし、山登りも好きである。

いつか、お金に余裕ができたら、フィルムカメラ買おうかな。
一生無理そうだが…

2016年12月13日 (火)

納山会~蓬莱峡 16年12/10

山岳会の納山会が、蓬莱峡であった。

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宴会場の設営。

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メチャメチャ広いです。K村くん、いつもありがとう!

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とりあえず開始!

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夜は更けていく…

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メイン料理はK西さんの寄せ鍋。O村さんがいないので、肉は鶏。

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完全に夜。しかしまだ17時半。

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またカンパ~イ!

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鶏のから揚げを揚げるK口さん。美味しかったです。

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当に宴たけなわ。

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会長降臨。

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なのでまた乾杯。何度目?

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0時頃。ようやく静かになった。


去年の納山会では「来年もできるかな~」なんて話合っていたいたけど、無事に迎えることができました。

2016年11月22日 (火)

風邪&ぎっくり腰

ここ最近、ずっと喉が痛く、風邪っぽかった。
木曜のジムの後、決定的に痛くなり、そして、決定的に風邪をひいてしまった。
金曜日はかなりつらい一日だったが、翌日からは休みだったので助かった、と思っていたが大間違い。

土曜日の晩にぎっくり腰になった。
こちらの方も、最近あまりいい具合ではなく、(そろそろくるかも?)といった按配だった。
長年ぎっくり腰と付き合っていると、そういうのも分かってくる。

風邪とぎっくり腰。
いっぺんになるのは初めてである。
これほど苦しいものとは。
なぜなら、咳が出せないのである。

今回のぎっくり腰は、大きく咳き込んだ勢いでなった。
咳き込むと、その箇所が痛い。
そりゃもう、大変、痛い。
しかも、ぎっくり腰が悪化しそうで、これまた大変、恐ろしい。


今日で3日目。
風邪も腰も、だいぶ落ち着いた。
だからこうやってブログも書ける。
明日は外岩。なんとか間に合ったかな?

2016年10月 1日 (土)

メガネを買う。

昨晩、メガネが壊れた。
ムスコとふざけ合っているうちに。
私が叱るとムスコはシュンとなっていたが、暫くして「木工用ボンド」をおずおずと差し出してきた。
「直るか!しかも木工用やんけ!」

幸い今日が休みだったので、メガネ店へ。
「3000円メガネ」と謳っている割に、一番安いものでも3500円だ。
しかも、いかにも売れ残りっぽいものばかり。
真っ赤なフレームとか、すごくぶっといフレームとか。
今さらデザインとかに拘りはないが、これはちょっと…
仕方ないので4500円のものに。それでも以前より随分安くなった。

出来上がるまで半時間ほどというので、店の辺りをぶらついた。
店の裏手には母校がある。
久しぶりに歩いて行ってみる。近くに住んでいながら、訪れることはない。

少々様子が変わっていたが、雰囲気は同じ。
懐かしい。
ブラスバンドの音が聞こえてこないか、と思ったが聞こえない。部活は休みか。

メガネ店に戻り、メガネを受け取る。
ちょうど昼時だったので、たまに行っていた中華料理の店に寄ってみようか、と思ったが、そのまま帰宅。
今度、ハラの減っている時に行ってみよう。

でも、昼に空腹になることがあるのだろうか…?

2016年7月 4日 (月)

パレードの思い出。

ようやく普通にキーボードが打てるようになった。よしよし。
それはさておき。

先日、ジムに行く途中、お祭りやってるのを見かけた。
愛染まつりだ。もう夜で、夜店だけだった。

愛染まつりには昔、一度だけ参加したことがあった。
大学生の時。ブラスバンドでパレードをしたのだった。

以前書いたが、私がやっていた楽器はチューバである。
パレード、マーチングの時はスーザフォンという楽器を使う。
高校野球の応援とかで見たことある人も多いだろう。
金属部分を大幅に樹脂で代用してあり、だいぶ軽い。

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けどやっぱり、結構重いスーザフォン。

また、衣装はパレードコート。通称“パレコ”。
これがまたクッソ暑い。

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“パレコ”。こんなカンジの服。

愛染まつりでは、たしかパレードは3度した。
すごく暑い、夏の真昼間。

仲間が熱中症でどんどん倒れ、3回目はメンバーが半分くらいになってしまった。
なんてこった。
私は当時、まだ山登りとかはしてなかったけど、体力面に不安はなく、倒れることはなかった。

しかし、とにかく暑かった。あの暑さだけは、今でもよく覚えている。

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パレードはだいたい、こんな感じ。


パレードのことを書いていたら、色々思い出してきた。
その思い出をいくつか書いてみよう。

パレードは遊園地やお祭り等のイベントで行われた。
パレードだけでなく、ドリルと呼ばれるマーチングショーもやった。

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ドリル。こんな感じ。

そもそもなぜそんなことをしていたのかというと、早い話が金を稼ぐためである。
クラブをやっていくには、お金が要る。
演奏会を開くためにホールを借りる、楽譜代、楽器の修理、その他諸々。
ウチの大学の吹奏楽部には部費というものがなく、活動の諸経費はパレードやショーで稼いでいた。
練習にもなるし、なかなか合理的である。

多かったのは鈴鹿サーキットと枚方パークだった。
鈴鹿サーキットでの思い出は、なんといってもレース場内でのドリルである。
モータースポーツにはあまり興味はないが、サーキットのスタート地点に立ってみると、なかなかいい気分だった。
ただ、この時は非常に暑く、路面がネチャネチャしていた。
ドリルではターンとかがあるのだが、フリクションが利きすぎて、回りにくかった。

枚方パークは、今でこそ“ひらパー”と呼ばれ、それなりに人気のある遊園地のようだが、我々が行っていた頃は寂びれていて、もうダメなんじゃないか?と思わせるような雰囲気だった。
お客も少なく、菊人形がなんだか不気味だったことぐらいしか思い出にない。

甲子園で演奏したこともあった。
スタンドではなく、フィールド内でのドリル演奏である。
毎年甲子園ボウルというアメフトの大会があり、そのハーフタイムショーでの出演である。
甲子園には何度か行ったことがあったが、スタンドから見る景色とはまるで違っていた。
壮観だった。
せっかく来たのだから、と土を一握り黙って持って帰った。
あの土はどこへいったかな?やはり高校球児と違って、それほど思い出深いわけではない。
きっと捨ててしまったのだろう。

甲子園のスタンドでの演奏もあった。
たしか芸能人の野球大会かなんかだった。
私は芸能人には全く興味がなかったが、当時人気だった光GENJIなんかが出ていたようである。
先にも書いたが、私の楽器はスーザフォンといって、すごくデカい。
後ろにいたお客のお姉さんが「ちょっと、アンタ!見えないじゃないの!」とクレームをつけ、ゴミを投げつけられた覚えがある。
えらい迷惑なハナシだ。
スーザフォンのベル(ラッパ部)をはずし、(ネジではずれるようになっている)
そのままだと半音高くなってしまうので、管を思い切り抜いて音程を調整して吹いた。

白浜のアドベンチャーワールドでパレードをしたこともあった。
遊園地が新たにできた際の記念式典かなんかだったと思う。
できたてのジェットコースターに、みんなでパレコを着たまま乗った覚えがある。

そういえば、パレードしている時、前の列が妙な動きをしていた。
ちなみにスーザフォンの私は最後列。
進んでいるうちに理由がわかった。進行上にあったのは、巨大なウ○チ。
我々は象さんの後ろについてパレードしていたのだが、その象さんが落し物をしていったのだった。

花博での演奏もあった。
鶴見区であった花と緑の博覧会。
そんな経ってないと思ってたが、開催は1990年、もう26年も経ってるやん!
そらオッサンにもなるわな。
実は今日仕事で花博の跡地を横切った。
残された、イマイチ地味な塔を見る度に思い出す。

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いのちの塔、というらしい。

どこぞの商店街でのパレード。
商店街の看板が低く、パレード中、スーザフォンのベルを思い切りぶつけてしまった。

キティちゃんと一緒にパレードしたこともあった。
パレードを終えて、控え室。キティちゃんの着ぐるみからでてきたのは小柄な女性。
汗だくで死にそうになってたな。

記憶というのは、なんだか繋がっているみたいで、いろいろ出てくる。
パレードやドリルは、実はそんなに好きではなかったけど、今にして思えば、いい思い出である。
やっている時はいろいろ大変だったろうけど、思い出されるのは楽しいことばかりやな。