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2016年7月 4日 (月)

パレードの思い出。

ようやく普通にキーボードが打てるようになった。よしよし。
それはさておき。

先日、ジムに行く途中、お祭りやってるのを見かけた。
愛染まつりだ。もう夜で、夜店だけだった。

愛染まつりには昔、一度だけ参加したことがあった。
大学生の時。ブラスバンドでパレードをしたのだった。

以前書いたが、私がやっていた楽器はチューバである。
パレード、マーチングの時はスーザフォンという楽器を使う。
高校野球の応援とかで見たことある人も多いだろう。
金属部分を大幅に樹脂で代用してあり、だいぶ軽い。

Photo
けどやっぱり、結構重いスーザフォン。

また、衣装はパレードコート。通称“パレコ”。
これがまたクッソ暑い。

Photo
“パレコ”。こんなカンジの服。

愛染まつりでは、たしかパレードは3度した。
すごく暑い、夏の真昼間。

仲間が熱中症でどんどん倒れ、3回目はメンバーが半分くらいになってしまった。
なんてこった。
私は当時、まだ山登りとかはしてなかったけど、体力面に不安はなく、倒れることはなかった。

しかし、とにかく暑かった。あの暑さだけは、今でもよく覚えている。

Photo_2
パレードはだいたい、こんな感じ。


パレードのことを書いていたら、色々思い出してきた。
その思い出をいくつか書いてみよう。

パレードは遊園地やお祭り等のイベントで行われた。
パレードだけでなく、ドリルと呼ばれるマーチングショーもやった。

Photo_3
ドリル。こんな感じ。

そもそもなぜそんなことをしていたのかというと、早い話が金を稼ぐためである。
クラブをやっていくには、お金が要る。
演奏会を開くためにホールを借りる、楽譜代、楽器の修理、その他諸々。
ウチの大学の吹奏楽部には部費というものがなく、活動の諸経費はパレードやショーで稼いでいた。
練習にもなるし、なかなか合理的である。

多かったのは鈴鹿サーキットと枚方パークだった。
鈴鹿サーキットでの思い出は、なんといってもレース場内でのドリルである。
モータースポーツにはあまり興味はないが、サーキットのスタート地点に立ってみると、なかなかいい気分だった。
ただ、この時は非常に暑く、路面がネチャネチャしていた。
ドリルではターンとかがあるのだが、フリクションが利きすぎて、回りにくかった。

枚方パークは、今でこそ“ひらパー”と呼ばれ、それなりに人気のある遊園地のようだが、我々が行っていた頃は寂びれていて、もうダメなんじゃないか?と思わせるような雰囲気だった。
お客も少なく、菊人形がなんだか不気味だったことぐらいしか思い出にない。

甲子園で演奏したこともあった。
スタンドではなく、フィールド内でのドリル演奏である。
毎年甲子園ボウルというアメフトの大会があり、そのハーフタイムショーでの出演である。
甲子園には何度か行ったことがあったが、スタンドから見る景色とはまるで違っていた。
壮観だった。
せっかく来たのだから、と土を一握り黙って持って帰った。
あの土はどこへいったかな?やはり高校球児と違って、それほど思い出深いわけではない。
きっと捨ててしまったのだろう。

甲子園のスタンドでの演奏もあった。
たしか芸能人の野球大会かなんかだった。
私は芸能人には全く興味がなかったが、当時人気だった光GENJIなんかが出ていたようである。
先にも書いたが、私の楽器はスーザフォンといって、すごくデカい。
後ろにいたお客のお姉さんが「ちょっと、アンタ!見えないじゃないの!」とクレームをつけ、ゴミを投げつけられた覚えがある。
えらい迷惑なハナシだ。
スーザフォンのベル(ラッパ部)をはずし、(ネジではずれるようになっている)
そのままだと半音高くなってしまうので、管を思い切り抜いて音程を調整して吹いた。

白浜のアドベンチャーワールドでパレードをしたこともあった。
遊園地が新たにできた際の記念式典かなんかだったと思う。
できたてのジェットコースターに、みんなでパレコを着たまま乗った覚えがある。

そういえば、パレードしている時、前の列が妙な動きをしていた。
ちなみにスーザフォンの私は最後列。
進んでいるうちに理由がわかった。進行上にあったのは、巨大なウ○チ。
我々は象さんの後ろについてパレードしていたのだが、その象さんが落し物をしていったのだった。

花博での演奏もあった。
鶴見区であった花と緑の博覧会。
そんな経ってないと思ってたが、開催は1990年、もう26年も経ってるやん!
そらオッサンにもなるわな。
実は今日仕事で花博の跡地を横切った。
残された、イマイチ地味な塔を見る度に思い出す。

Photo_2
いのちの塔、というらしい。

どこぞの商店街でのパレード。
商店街の看板が低く、パレード中、スーザフォンのベルを思い切りぶつけてしまった。

キティちゃんと一緒にパレードしたこともあった。
パレードを終えて、控え室。キティちゃんの着ぐるみからでてきたのは小柄な女性。
汗だくで死にそうになってたな。

記憶というのは、なんだか繋がっているみたいで、いろいろ出てくる。
パレードやドリルは、実はそんなに好きではなかったけど、今にして思えば、いい思い出である。
やっている時はいろいろ大変だったろうけど、思い出されるのは楽しいことばかりやな。

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コメント

チューバーの演奏、倶楽部運営のために色んな出稼ぎされてたんですね。
若いころの苦労はどこかで生かされるのではないですかね。

指はキーボード打てるようになりましたか。まだまだ日にち薬でしょうが、
焦らず(無理かな?!)気長に養生してください。

ところで今日7/10(日)、一人で阪急岡本~宝塚を目指して歩いていたら、
裏六甲でチョリオさんと確か同じ会?のNさんに出会いました。
「一人ボッカ」だそうです。

Pahottiさん、コメントありがとうございます。
キーボードは打てるようになりましたが、クライミングはまだまだ無理です…がまんガマン…

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