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2016年6月の14件の記事

2016年6月29日 (水)

中指骨折。

左手中指を負傷して10日。
腫れや痛みはずいぶんマシにはなったものの、まだ力を加えると痛い。
今日、書類を取りに行くついでに診断してもらった。

骨にヒビがいって、全治1ヶ月~2ヶ月。
やっぱりなぁ…だいたい予想はしていた。

ついでのついでに肘も診て貰った。
こちらは先生、全く自信がないのか、質問しても言葉を濁すだけ。
とりあえず、ほっとけ、とのこと。なんじゃそりゃ。


昨日はグラビティへ行ってきた。
前回ブログで、私が“根性が足りん”と言った、たにやん。
正面壁の11b緑をRP。
21時頃、彼がそのルートをチャレンジして失敗しているのを見た。
(もう少しやけど、あのヨレ方では今日のRPはないな)と思ってたら、最終便で登りよった。
早速、“根性”見せてくれました。

2016年6月26日 (日)

グラビティなんば 16年6/25

今日は登攀訓練の日。
外岩に行く予定だったが、雨天のためジムに変更。
少し遅れて行くと、すでにmayumiさん、たにやん、聖さん、シャントくんが来ていた。
私はどーせ登れないし、せっかくの登攀訓練なんで、ちょこっとだけムーブの講習。
教えるのは下手なんだが…

シャントくんは、正面壁の10cを2本RP。
聖さんは、垂壁のバランシーな10cをRP。
二人ともお見事。飲み込みが早いね。
チョリオさんのおかげ、とか言うてくれたけど、間違いなく二人の実力やね。

6時半にO村さん登場。
その頃には、みんな帰宅して、たにやんと私だけ。
3人で第二部開始。

O村さん、ジムではもちろん顔を合わすけど、登りを見るのは久しぶり。
いつの間にやら11台を3本、GETしていた。
本人は(お買い得ばっかりやから)と謙遜していたけど、確実に力をつけているし、上手くなっていた。
ルーフの10d、そして垂壁の11b、きっと近いうちに登れる思う。

そして本日、一番頑張っていたのはたにやん。
昼の11時から夜の9時まで、お疲れさま。
しかし、敢えて苦言。10c、10d、11ab。テンションをかけた3本。
諦めが早すぎる。ムーブを間違えたのは分かる。腕がヨレヨレなのも分かる。
でも、多少間違えて無理矢理になってしまっても登れる突破力。
これが今のたにやんには欠けている。

とはいえ、これはかなりの高望みやな。
どんどん上手くなるので、ついつい期待してしまう。
まあ、今自分が登れないんで、他人の登りが余計に気になるんやと思う。

最後に自分の報告。
右手だけパンプ。右手だけガバマメができた。以上。
とほほ…

2016年6月24日 (金)

グラビティなんば 16年6/21・23

ムスコのあっちゃんが、久しぶりにジムに行きたい、と言ってきた。
珍しいこともあるもんだ。最近はゲームばかりして、誘っても全然やったのに。
私は怪我で登れないので、この日はあっちゃんの専属ビレイヤー。

あっちゃん、ジムは1年ぶりくらい。
まずはトップロープで10a。
やはり久しぶりだからだろう、しんどそう。
それでも再RP。

10bにもチャレンジ。
1年前は得意ルートだったが、ギリギリ。
なんとか再RP。

リードで10a。
これは登れず。やり直したらあっさりできた。
やはり墜ちるのが怖いみたい。

トップロープに戻って10c。
これもテンション。ワンテン。

だいぶカンが鈍っているみたい。
しかし、身長が伸びて、以前すごく無理矢理登っていた箇所が楽に登れるようになっていた。
今からでも続けたら、すごく上手くなるのに。

ちなみに本人は翌日すごく筋肉痛になったみたい。
これで当分、また付き合ってくれないだろう。


昨日、23日もジムに行ってきた。
左中指は相変わらず使えないが、肘の具合がマシだったので、ちょっとだけ登ってみた。
垂壁の5.8~10aで、登って、降りる。
3本も続けてやれば、右腕がパンパンに。
左腕では引付けをしないので。

登る時はいいのだが、クライムダウンをする時、左腕引付け(じゃない、引付けの逆は何と言うのだろう?)を使わないとなると、かなり考えさせられた。難しい…

2016年6月20日 (月)

星田クライミングウォール 16年6/18

私は今、何かに憑かれているのかもしれない。
また怪我をした。
まあ、次から次へと。

この日は星田クライミングウォールへ行った。
足もだいぶ良くなったし。
メンバーは秀さん、I田さん、たにやん。

しかし行く前。車のドアに左手を挟んでしまった。
中指の先が、これでもか、というくらいに腫れている。
登るどころか、ちょっと触れただけでも激痛。

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未練がましく、3本登ってみたが、そら無理やわな…

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秀さん、11bRP。おめでとうございます。

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I田さん。だいぶ良くなったけど、まだまだ。

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たにやん。随分登れるようになった。もう少し持久力が欲しいところ。


今日で2日経過。まだかなり痛い。
とりあえず、また当分、クライミングできんな。あ~あ…




2016年6月17日 (金)

グラビティなんば 16年6/16

久しぶりのジム。
といっても完全復活にはほど遠い。
調子が良くなってきたから、ちょっと慣らし運転、って感じ。

最初は垂壁の5.8~10aを2・3本づつ登って下りる。下りはクライムダウンで。
久しぶりなんで体のバランス、可動域を確かめながら。
足の方は大丈夫そう。左腕での引付けやピンチはまだ無理みたい。

正面壁に移り、新しい10cを登ってみる。問題なし。
次に強度を上げ、11b。これも新ルート。Keiさん作。大丈夫、OS。
オブザベ通りのムーブで登れたのが嬉しい。

前回OSした11a。これも大丈夫。
最後にルーフの11ab。桃色。ちょっと手を間違えたけど問題ない。
ルーフは腕が伸びっぱなしなんで楽。

続いて隣の11ab、赤。核心、遠い右手が取れた。
後は左足をのっけて…あっ!左足のカカト!
そうだった。左足の踵には体重を乗せられないので、ソッコーフォール。

久々のクライミング。やっぱり楽しい!

2016年6月15日 (水)

ひいばあちゃんの思い出。

ヨメさんのお祖母さんが亡くなった。
99歳。大往生である。

よく覚えているのは、曾孫のあっちゃんが生まれた時、ものすごく喜んでくれたこと。
手編みの帽子をたくさん編んでくれた。
ついでに私の分もいくつか編んでくれた。
とても元気なおばあちゃんだった。

ひいばあちゃんの故郷は長野県の伊那である。
我が家族も夏になると、毎年のように行っているが、いいところである。
中央アルプスと南アルプスに挟まれており、山好きにはたまらない。

以前、たまたま二人でいた時の会話。
お菓子を食べながら、私が思いついて、
「おばあちゃん、子どもの頃、おやつってあったんですか?」
「ああ、子どもの頃はトンボを取って食べたな…」
「ええ!?トンボっておいしいんですか?」
「ははは、うめえわけ、ねえずら」

とてもお茶目でかわいいおばあちゃんだった。
だんなさんは若くして戦場で亡くなったらしい。
とても苦労してきたに違いない。しかし、そんな感じは一切見えなかった。
恐らく、苦労を苦労に思わなかったのではないだろうか。
非常に強く、たくましい人だったと思う。

ひいばあちゃん、どうか安らかに。

2016年6月13日 (月)

ホタル狩り。

土曜日、ヨメさんとホタル狩りに行ってきた。
ホタル鑑賞には、だいたい毎年行っている。
今年はムスコが寝不足でダウンしていたため、二人で行ってきた。

行くところは、三田のいつもの場所。
関西のクライマーにはおなじみの場所だが、私はクライミングを始める前から通っていた。
まだ少し早いかな?と思われたが、それでも結構、飛んでいた。
ホタルを眺めるのはかなり好き。
ボーっと眺めてると、気分がふんわりしてくる。

ヨメさんもきっとそうだったのだろう。
二人してボーっとしてたら、ずいぶん遅くなった。
終電に乗り遅れ、森之宮までしか帰れず。
タクシー代もないので、二人で歩いて帰った。

足が痛いので、のんびり帰りました。

2016年6月11日 (土)

以前やってたトレーニング。

ジムで11aや11bのルートで四苦八苦していた頃。
ジムの終わる時間、仕上げにいつもやっていたトレーニングを思い出した。
垂壁の5.7~10aを3~5本、登って下るのである。
下りはロワーダウンではなく、クライムダウンである。

今は壁が新しくなって、なくなってしまったが、以前は右から5.7、5.9、5.8、10a、5.9と並んでいた。
このルートを使って、クライミング、クライムダウンするのである。

最初は3本だった。5.8、5.9、10a。
地面に足をつけないで、隣のルートへトラバース、連続で登り下りする。
クライムダウンをする時は、ピンを外しながら下りてくるが、自信のない頃は終了点は外さない。
そうするとトップロープ状態になるので危なくない。

余裕を持ってできるようになると、最初に5.7を加えて4本連続にした。
最後の10aのクライムダウンの時にはかなりパンプしていて、けっこう怖かった。
やってみれば分かるが、クライムダウン時にピンを外すと、下のピンはだいたい足元にある。
これで墜ちたら結構、痛そう。
また、ビレイも手順が逆になり、面倒くさい。
慣れていない人にビレイを頼むと、たぶん頭がこんがらがってるのだろう、ピンを外してもロープはだらんだらん、恐ろしいことこの上ない。

最終的には真ん中にもう一本5.9を加えて5本連続で登り下り。最後は必ず10a。
ほどなく、これも余裕でできるようになる。

このトレーニングは持久力をつけるためにやっていたものだが、やっているうちにもう一つ、スピードも意識するようになった。
クライミングはスピードを競うものではないので、普段あまり意識しない。
だから“早く登ってしまった方がパンプしない”という、かなり簡単なことに気付かないことが多いのである。
早く登ると、ムーブが雑になる。そうすると、負担もかかるし、墜落のリスクも高くなる。
それでも早く登る方を取るか。それとも慎重に登るか。
そういうことを“意識”しながら登ることによって、早く慎重に登れるようになってくるのである。
スピードを意識しなかったら、気付くことすらなかった。

今はもう、このトレーニングはやっていない。
垂壁ではもう、何本登ってもほぼパンプしなくなったのである。
たとえパンプしても、途中でいくらでもレストして回復できる。
そうなるとスピードもへったくれもない。
それにやはり、時間がかかるのでビレイヤーにも気を遣う。
持久力トレはボルダー壁の長物でもできるし。


以前は、ジムで“蛍の光”が流れ出すと、秀さんやイサミンが声を掛けてくれた。
秀さんは「また、やりますか?」と。イサミンは「お、またやる?」てな具合に。
私のめんどくさい練習に付き合ってくれた仲間に感謝。

今はたまに、稲やんがクライムダウンをしているのを目にする。
なかなかジムに来れない彼は、なまった体には良いトレーニングだと分かっているようだ。

あ、私も怪我でずいぶんなまっているだろうから、復帰後にはまたやってみようかな。

故障、オンパレード。

全く、次から次へと…
左足の踵が痛くて、ちゃんと歩けないことは書いた。ずいぶんマシにはなったけど。
その2週間前に右足首を捻挫したことも書いた。
こちらはいったん治ったのだけれど、左足を庇う歩き方をして負担が大きかったのだろう、調子が悪い。
左肘が痛いのも書いた。
これもマシになっているようだが、加えて更に、左肩が痛い。

これは、ほぼ間違いなく、四十肩。
四十肩は過去、右と左で二度、経験している。
最初が右で治るのにずいぶんかかった。2年くらい?
次に左で、これは半年ほどで収まった。

今回はまた左で、実は2~3ヶ月前から違和感を感じていた。
ザックを背負う時、おかしいな、と感じるのでわかる。

今ではハッキリ痛いと分かる。
左肘や左足が痛いので、気づきにくかったのだが、着々と進行していたようである。
今回のは、どうも左肘痛と関係があるような気がする。

そんなワケで、四肢のうちでまともなのは右腕のみ、という悲惨な状態である。
満身創痍だが、2回、ジムに行ってきた。
グラビティはコンペが行われ、正面壁がリニューアル中。
月曜に行った時、S山くんがいたので、ビレイをお願いして登ってみた。

ムーブを起こす前に、できそうかどうか考えながら登る。
左手での引き付けやピンチはできない。右足のハイステップも止めた方がよさそう。
ちょっとでも痛かったら降りようと思っていたが、無難に登れた。
もちろん、低いグレードのルートばかりだが。

木曜はmayumiさんがいらっしゃって、ビレイをお願いした。
新しくできた正面壁11aは登れたが、11bは無理。
左手の引き付けがあって、マッチも持ち替えも不可、降りてきた。

木曜日は夜に山岳会の集会があり、イサミンと話す機会があった。
私が怪我をしているのに、ジムに行ったことを知ると、(休んだ方がええんちゃう?焦らんでもええで)とやんわり諌めてくれた。
まあ、こんな身体になってしまった以上、もはや焦る気持ちはない。
ヘンな歩き方を続けていて、どうも身体全体が変に凝っているというか、固まっているというか…をちょっと伸ばしたいので、クライミングしてみた、てな感じ。
なのだが、やっぱ無理しているように見えるわな…
イサミンは私の性格をよく把握している。
こうやって言葉を掛けてくれるのは、本当にありがたいことだ。

限定(?)だらけの体で登るクライミングも、頭を使うし、それなりには面白かったが…
まあやっぱり、あんまり楽しくない。ストレッチにはなったみたいやけど。


仲間たちは今頃、御在所かな。ええなあ。

2016年6月 8日 (水)

オーケストラのこと。

だいぶ前の話になるが、つけっ放しのTVから流れてくる音楽にハッとし、そのまま画面に釘付け、聴き入ったことがあった。
流れていた音楽、曲名は“展覧会の絵”。
原作はムソルグスキー、元々ピアノ曲だったのを、オーケストラ用に編曲したのがラベルである。
有名な曲だから、恐らく誰でも耳にしたことがあると思う。


私は1年前まで、アマチュアオーケストラの団員であった。
入団は1992年、23年も続けていた。
去年、前の仕事を辞めると同時に、オーケストラも辞めてしまった。
無職になって甲斐性もないのに、クライミングもオーケストラも、というのはちょっと…というのが理由。

オーケストラでは、テューバという楽器を担当。
ラッパの化け物みたいなやつ。低音の金管楽器である。
以前、ブログでも書いたことがある。

http://plaza.rakuten.co.jp/yunchol/diary/?ctgy=6

この楽器を始めたのが高校の時。吹奏楽部に入部してからだ。
学生の頃は、よく練習した。
どうも私は、一つのことに夢中になるタチで、相当入れ込んでいた。
ちょうど今のクライミングみたいに。
社会人になっても、アマチュアオーケストラに入団して、楽器を続けた。

学生の頃から数えると四半世紀以上。
正直言うとその情熱もかなり薄れてしまい、辞めたことに悔いはない。
ただ、やはり、私の青春は、確かにそこにあったのである。

“展覧会の絵”。
非常に難しい曲で、普段目立たないテューバにもソロがある。
毎日毎日すごく練習したが、本番は緊張し過ぎてまともに吹けず、大失敗。
苦い思い出だが、今となってはいい思い出である。

TVから流れてきた“展覧会の絵”を聴いて、その頃の記憶が溢れでてきた。
音楽を聴いて泣けてきたのは、久しぶりだった。


2016年6月 5日 (日)

チョークについて。

フリークライミングの“フリー”は、道具を使わない、の意味である。
エイドクライミング(人工登攀)、つまりアブミとかの道具を使って登るクライミングとの対義語である。

ロープやヌンチャクは、登るための道具ではなく、身を守るための道具。
ハーネスやヘルメットも同じ。
ヌンチャクはたまに、登るための道具と化すこともあるが、それを使って登っても、(フリーで)“登った”ことにはならず、“A0して(人工登攀で)登った”ということになる。

道具を使わないはずの“フリー”ではあるが、使う道具がある。
一つはクライミングシューズ、もう一つはチョーク、である。


私は、ほとんどチョークを使わない。
手汗をかかないからである。
仲間には羨まれる。
普通のクライマーは“ヌメル”ので、夏はオフシーズンらしいが、私は一向に平気である。
むしろ、皆がシーズンと言っている冬の方が、私は苦手だ。

冬、寒いのは苦手だ。
なんといっても、身体が温まりにくくて固く、腰の爆弾のリスクが高くなる。
厚着して登るので、登りにくい。
真冬でもTシャツやら、上裸の人を見ると、それだけで尊敬してしまう。

チョークを使わない私だが、チョークバックは持っている。
昔買ったもので、最初のうちは使っていた。
みんなが使っているし、普通に使っていたのだが、ある時、外岩に行った時、チョークバックを忘れた。
その時、チョークを使わなくても、何の不自由もないことに気づいたのである。
その後、ジムでも使わなくなった。
ジムではむしろ、登り終わった後にチョークアップされている。

チョークバックは、冬に使う。
チョークでなく、使い捨てカイロが入っている。
貧血気味の私は、血の巡りが悪い。
“血の巡りが悪い”と書くと“頭が悪い”と同じ意味みたいだが、まあ、それも含めて、なにしろ、血の巡りが悪い。
寒い時、冷たい岩を登っていると、指先、足先は、すぐに冷たくなる。
手を見ると、血の気がなくなって青くなっている。
ガミラス星人みたいだ。

以前、確か駒形岩へ行った時。
その時の駒形岩は染み出しで、結構濡れていた。
イサミンと染み出しがマシな“サイレントティアーズ”を触っていた。
イサミンは手汗が多い。
濡れてなさそうなサイレントティアーズだったが、結構濡れていて、
「うわ、ビショビショやん!」と私はすぐに降りてきた。

先に登ったイサミンに、「結構、濡れてんな」と言うと、
彼は「そうやな」と言いつつ、「でも、オレ、いつもこんなカンジやから」と言った。
私は(マジ!?)と彼の顔を見たが、イサミンは至って普通だった。
(どうやら冗談ではなさそうだ)
私は思った。
(ヌメリ手の人は、いつもこんなカンジか。そりゃ…大変やな…ご愁傷さま。)
ハッキリ言って、登れる気がせんかった。

クライミングシューズ同様、以前はチョークにもこだわった。
普段は粉チョーク、本気トライは値段の高い、液体チョークを使った。
液体チョークをつけると、“ヨシッ”という気持ちになった。
それでいい結果が出た時もあれば、気持ちが空回りしたこともあった。
今思えば、あれは“スイッチ”だったんだと思う。
もちろん、今は“スイッチ”なんていらない。

本気トライの時は、勝手にスイッチが入り、脳内麻薬が分泌される(と思う)。
鼓動が増し、緊張しているのがわかる。
深呼吸を繰り返し、緊張を抑えようとするが、収まるものでもない。
(しゃあないな)と思う。
手に汗をかいている感覚はあるが、全然かいてない。カラカラである。
目を瞑って、もう一回深呼吸。
“ヨシッ”

あー、クライミングしてぇな…

2016年6月 4日 (土)

おかえり“ドラゴン”。

リソールに出していたドラゴンが帰ってきた。

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左は新しく買ったドラゴン、右がリソールから帰ってきたドラゴン。ファイブテンのロゴが違う。

リソールに出したのが、忘れもしない不動岩の“ワンマンショー”をRPした後。3月初め。

http://cholio.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/511drp-16356-31.html

もう、穴が開く直前だった。
最近はリソールする人が増えたようで、今回3ヶ月近くかかった。

リソールに出した後、もう1足ドラゴンを買ったので、今2足ある。サイズも一緒。US8.5。
見た目の大きな違いは、タンのロゴくらい。

ソールが元々、ステルスHFに対して、ステルスC4に変わっている。(現在ステルスHFのリソールは不可)
これは実際、外岩で試してみないと分からない。
が、試してもワカランちゃうか、と内心思っている。
たぶん、目つむって靴はいたら気付かんちゃうか…と…

私がファイブテン“ドラゴン”を選ぶ理由は、ただ一つ。ソールのフリクション。
それがHFからC4に変わってもワカランのでは、何のためにドラゴン買ってるんだか…

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左ステルスHF、右ステルスC4(リソール)
さすがはバーチ、いい仕事です。全然、わからん…

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一週間ぶりにはいたら、やっぱり拷問やった…

2016年6月 3日 (金)

クライミングのこと。6

今の自分にとって、クライミングがどれほどの楽しみだったのか、というのを身を持って実感している。
クライミングは楽しい。
外岩で、風を受けながら、陽を浴びながら。
ジムで、皆でワイワイ言いながら。

今、私はクライミングができない。
どころか、まともに歩くことさえ、できない。

なんて、つまらない…

ま、自業自得やし、しゃあないな、と思う。
せめて、肘が万全なら、腕のトレーニングができるのに…
と未練がましい想いもあったりする。

左足の踵を痛めて、変な歩き方しかできなくなり、治ったはずの右足もちょっとおかしい。
右足への負担は相当なものだ。
色んなものをつかまりつつ、無理に歩くからか、肘もおかしい。
“歩けない”ということが、どれだけ大変なことか。
そら、クライミングどころやないわな。

ヒマなんで、こうしてブログを書いていたりする。


先週K本ちゃんと、備中元祖奥の院へ行って思ったこと。
ビレイしながらK本ちゃんの登りを見ていて、(こうしたら楽に登れるのに)というのが分かった。
普通の人が聞いたら、「そんなん、当たり前やろ」と言われそうなことである。
大体、私くらいクライミングをやっていて、似たようなグレードを登っている人は、他人に教えるのも、それなりに上手くなっている。
みんな同じようなムーブでつまづき、登れなくなり、教えてもらってやってみると、(おお!)となるのである。

しかし、私は、教えるのが下手だ。というか、教え方が分からない。
大抵、フリークライミングで最初に覚えるムーブは“フリ”なのだが、それすら、私は教える自信がない。
先ほど書いた、元祖奥の院での件のムーブ、実は“フリ”である。
“フリ”を使えば楽に登れるのに、と気付き、やってみると、果たして登れ、彼女はRPを手にした。
自分でそのことに気付けたのは、大きな成果である。
「教える自信がない」と書いたが、ひょっとしたら、今なら教えられるのかもしれない。
元祖奥の院以降、ジムにも行ってないのでわからないが。

そういえば、一緒にジムに通うイサミンは、“フリ”を教えるのが上手い。
彼はクライミングを始めた頃、ボルダーの前傾壁で、フリの練習を何度もやったらしい。
彼が後輩に教えているのを聞いていると、私も(なるほど)と思う。

今まで、何人も初心者を見てきた。
そういう人達と比べ、私はきっと、ほんの少し、クライミングの才能があったんだろうな、と思うようになった。
こう書いてしまうと、高慢な感じやけど…
と言っても勿論、天才なんてものでもなく、ごく些細な差である。
期間で言えば、2週間~半年くらい思う。
本当に高い壁は、この後、いくつも待ち構えている。
“高い壁”と思っていたのも、何年か後には(それほど高くなかった)と思えるかもしれないが。


クライミングを本格的に始め、ジムに通いだした当初、私にはおかしなプライドがあった。
今でこそ“おかしな”ことだが、当時、数年前の私は大真面目だった。

“5.10a”以下で墜ちないこと。

最初に行ったジム、パンプで私は仲間にそそのかされ、10aを10本程登った。
今でも覚えている。その仲間は、何も知らない私に、
「チョリオ、5.8とか5.9は年寄りや子どもが登るやつやから、触ったらアカンねん」と言った。
ムチャクチャなオッサンだった。ちなみに今の山岳会に入る前である。

当然、トップロープもナシ。いきなり初心者に10台のリード。
初めてだから、クリップも上手くできず、逆クリップやZクリップもした。
今思えば、こんな怖いヤツ、よくビレイしてくれたな、と思う。
しかし、それでも、10aでは墜ちなかった。
10bや10cも、何本か登れた。

最初がそんなだったからか、変に意地を張って、10a以下では墜ちない、と決めたのだろう。
腕が張って墜ちそうになり、クリップを飛ばして登ったりもした。
ビレイヤーのイサミンに「止めてくれ」と叱られもした。当然だ。
ジムに通い始めて1年程経ったある日、パンパンにパンプした腕で10aのルートにトライし、普通にフォールした。
登っている時は(墜ちるもんか)と必死だったが、墜ちてみたら、別に悔しくもなかった。
次にやった5.9でも、フォールした。
なんで、あんなにこだわっていたんだろう?


さて、ちょっと戻って、私は人に教えるのが下手なこと。
人が登っているのを見て、手足をどう動かせばいいのか、分からない。
ジムだと、ホールドが決まってるし、低いグレードなら大体分かる。
そもそも、ホールドの向きが、登り方を教えてくれている。

人に教えるどころか、自分がどうやって登ったのかも分からない、覚えていないことが多い。
自分が登ったルートを、後で他の人が登り、「チョリオさん、足、ここに置いてたよね?」とか訊かれても、「ん?せやった、かな?」といった按配だ。

以前このブログでも書いたが、私は登り方を教わったことがない。
課題を落とすのに、仲間にムーブを教えてもらうことはある。
そういうのではなく、“フリ”はこうして、とか、こういう時は“フラッギング”で、とか。

全て自己流。
思えば“フリ”や“フラッギング”は、最初からできていたように思う。
私が心がけていたのは、ただ一つ。
“自分の体に聞く”ことである。
どうすれば、楽な姿勢になるのか、自分の体が、自然に動くに任せる。

このことは、ムスコとジムに行った時に分かった。
ムスコにムーブを教えたことはない。
ムーブを教えなくても、ムスコはムーブを駆使して登っていた。
“フリ”や“フラッギング”を使っているムスコを見て、
(あ、オレもこんなんやったんやろな)と思った。


…ヒマに任せて、思うがまま書いてたら、なんや支離滅裂になってしまった。
読み返してみると、ちょっと嫌味な文章やし。ま、別にええか。

最初に10台が登れたからって、別になんということもない。
クライミングは奥が深い。
やればやるほど、自分の弱さが見えてくる。

2016年6月 2日 (木)

釣堀の思い出。

久しぶりに、小説を読んでいる。
以前はよく本を読んだが、最近は殆ど読まなくなった。

こないだ古本店のブックオフに行った。
ムスコに本を買い与えるためだ。
ムスコは国語の成績が悪く、読解力がない。
(そんなもん、普通に生活していたら身につく)と思っていたが、どうもそうでもないらしい。
そこで小説の入門、定番の星新一のショートショートを買ってやろうと考えたのだ。
私も文字ばかりの本に馴染んだのは、星新一が最初だった。

その時、一緒に買った本があった。
夢枕獏の「大江戸釣客伝」。
買ってからほったらかしだったが、ちょっと読んでみた。
ちなみに、星新一はまだ、ほったらかしのままだ。ムスコはいつ手に取ってくれるだろう?

ずいぶん前置きが長くなってしまった。
その「大江戸釣客伝」を読んでいて、思い出したことがあった。
主人公が釣りをしていて、大物をバラし(逃がし)、他人に八つ当たりする件があった。
それを読んで、遠い思い出が蘇ったのである。

中学生の頃。
近所に釣堀があった。
釣堀といっても、屋内で、銭湯みたいな造りの店だった。
銭湯でいう浴槽、水槽に水が入れられ、中で鯉が泳いでおり、それを釣るのである。
たしか一回500円。弟と二人で行った。ただし、弟は見てるだけである。

その店の最大の売りは、大物を釣り上げた者に賞金を出すことである。
一ヶ月間で、最も大きな鯉を釣った者に1万円。2位と3位にも数千円の賞金があったと思う。
1万円といえば、当時の私にとってはものすごい大金である。
そして、3位までの大物を釣った者は、店に名前が張り出される。
私は一度、2位か3位に入ったことがあり、友人に自慢できたが、数日後には名前が消えていた。
誰かが更なる大物を釣ったのである。

さて、弟と行った時の話。
その日は、勝負の一ヶ月間最後の日だった。
浮きが鋭く沈み、私は大きく合わせた。
大物だった。
猛烈に暴れる鯉。
短い竿で、必死にやりくりする。
狭い釣堀なんで、リールなんて勿論ついてないし、糸もかなり細い。
周りの大人達がどよめいていた。
(デカい)(60は超えてる)(70あるかも)(上げたら1位やで)
周りの声を聞くまでもなく、私は1位間違いなしの手応えを感じていた。

長いやりくりで、さしもの大物鯉も、ようやく大人しくなってきた。
が、実はここからが大変。
というのも、浴槽、ではなく水槽の高さは1m以上あり、大人の腰くらいの高さ。
当時の私の胸くらいあり、その高さを、重い鯉を持ち上げるのは至難の業である。

私は弟に向かって、「椅子持ってきて!」と命じた。
大物の時は、椅子の上に乗って上げるのである。
弟は椅子を持ってこちらに来ようとするが、他の釣り客が邪魔でなかなか近寄れない。
私と弟は6才離れており、私が中学生だから、弟は小学低学年である。

一生懸命、椅子を持って来ようとしている弟を見ながら、どうも鯉を押さえ込んでいる自信がなくなってきた。
水面下の大鯉は、今でこそ大人しくしているが、まだまだ余力たっぷりな感じである。
もし、気が変わって沖、というか水槽の奥の方へ泳いでいかれたら、あっという間に糸を切られるであろう。

私は勝負を賭けることにした。
竿を思い切り立てる。
水面で鯉が暴れる。
私は必死で耐え、弱るのを待つ。
やがて、鯉が大人しくなり、私は意を決して、竿を頭上に持ち上げる。

(1、2の3!)
で持ち上げ、大きな鯉が上がった!
の刹那、鯉は最後の力を振り絞り、水面を大きくたたいた。

糸が切れていた。
私はビショ濡れになり、しばらく呆然としていた。
傍らで、椅子を持った弟が申し訳なさそうに立っていた。

釣堀から帰る時、私は悔しくて、
「お前が早くイスを持って来んからや!」
と怒鳴り、弟の頭を力いっぱい殴った。
無論、弟は泣き出した。

弟を泣かした時はいつも(しまった!)とすぐに宥めるのだが、この時は無視して自転車に乗った。
自分でも八つ当たりだと分かっているのに、(ごめんな)と言い出せずに帰宅した。


大人になって、弟にも話したことがある。
弟も覚えていたように思う。
あの釣堀は、今はもうないだろう。
釣堀があった、ボロい商店街もなくなっているかもしれない。

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