クライミングのこと。
クライミングジムに初めて行ったのは4年半前。
2010年の3月。PUMP大阪に、当時所属していた山岳会の方に連れられて行った。
帰りのメシ屋でハシが持てなくなったことを覚えている。
箸はまだ良かったが、翌日の仕事でバイクのブレーキが握られなかったのには参った。かなり危なかった。
面白かったので、翌月からボルダリングジムの月会員になる。
天王寺のTOBITO。楽しかったが、2ヶ月で腱鞘炎になり(ヤリ過ぎ)四十肩も重なり、クライミングから遠ざかった。
再開したのは、今の山岳会に入って2年目。
2012年の春頃から、グラビティなんばに行くようになった。
同じ会の、秀さん、イサミンが通うようになったからであるが、最初私はそれほどやる気があったわけではなかった。
クライミングは楽しかったが、以前、怪我をしたこともあって、なんだか(あまり本気にならない方がいい)と思っていたのである。
そんなワケで最初は回数券で週1回程度だった。
しかし、やっているうちにのめり込み、秀さん、イサミンも頑張るので、負けちゃおられん、とライバル心を燃やしたりもした。
そして1年経った2013年4月、初めて5.11a(O村さんがパチもん言うたルートやが)をOSできたのを機に、本格的にやろうと6ヶ月券を買った。
私にとって、かなりの大金だった。
自分の中でなにか見返りが欲しく、この半年間で、ジム内の11aを全部登ってやろう、と目標を立てた。
しかし、1ヶ月後にキツいぎっくり腰になり、登れなくなった。
クライミングができないのは辛かった。
登れないけど、ジムに顔を出した。
秀さんやイサミンがどんどん上手くなるのを見ると、正直悔しかった。
この時、初めて、私はクライミングの本を買った。
ずっと好き勝手、本能の赴くまま登っていたが、この頃ムーブの勉強(?)をしたのである。
早く腰が治って試してみたかったのを覚えている。
腰が治って、以前のように登れるようになった時には、9月になっていた。
11aはまだ2~3本しか登れておらず、目標は諦めかけていた。
しかし、勉強した通り体を使ってみると、以前よりすごく楽に登れるようになっていた。
10月、ジム内の全ての11a11本(+トップロープ1本)が登れたのは、半年券の切れる一週間前だった。
この頃から外岩にも行くようになった。
外岩での初イレブンは、烏帽子岩の“ジャスティス5.11a”。
2014年、7月。このルートが初イレブンの人はかなり多いのでは?
ジャスティスRPの3日後、ジムで初めて11cが登れた。
しかし11cより上のグレードはなかなか登れなかった。
それを突破できたのは、今年2015年の4月。12aがRPできた。(実は11dRPの方が後)
外岩の初トゥエルブは、先々月の9月。
T市某岩場の“ウィルキンソン炭酸水5.12a”ほぼ無名の岩場で、しかも「お買い得」なんだろうけど、すごく嬉しかった。
クライミングを通して、いろんな友人知人ができた。
しかし中でも、秀さんとイサミンの存在は特別である。
同じように切磋琢磨しあって、上達してきた、という連帯感がある。
秀さんは私より10才以上年上のハズだが、年齢を感じさせないガッツと、諦めない精神の持ち主である。
実は私の目標でもある。(しかし10年後、私は今の秀さんほど元気でいる自信がない…)
イサミンは私と同じ年。パワフルな登りに加え、最近はムーブも洗練されてきた。
彼は気さくで、誰にでも好かれるし、気軽にロープを結び合える。
今、ちょうどジムに通い始めて間もない方が、何人かいる。
当然みんな実力は、どんぐりの背比べで、5.10台の課題をチャレンジしている。
彼らが10cのルートなんかを四苦八苦しながら登っているのを、ビレイしながら見ていると、
ちょうど我々3人が、あーだこーだ言い合って登っていた頃を思い出す。
(懐かしいなぁ)と思って、改めて書いてみると、だいたい3年前か。あら、意外と、そんなに経ってねーな…
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