(さて。行くか。)
3時になる少し前、車から出て晴れていることを確認して思った。
(長い一日になるな)
車内で出発準備、朝食を済ませ、3時27分、出発。
思い出の山、山上ヶ岳へ。
今年は雪が多い。
今年こそ、大峰の山へ行こう、と考えていた。
一番厳しい時期の大峰へ。
自分があの頃と比べてどれほど成長したかを知るために。
そして無知な我々を温かく見守ってくれた山々に“ありがとう”と言うために。
12年前ーもう、そんな昔になるのか。
2000年の3月12日、私は義弟2人を引き連れて山上ヶ岳に登った。
非常に苦しい山行だったので、よく記憶しており、
今でも一緒に登った奴らと会えば、時折話題になる。
(懐かしい)
あの頃はろくな装備もなく、いや装備と言えるものもほとんどなかった。
あったのは、今の何倍もの情熱。
“登ってみたい”という情熱と、気力と根性、それだけで我々は奈良の山々を登っていたのだった。

3時27分、母公堂を出発。
清浄大橋を渡り女人結界をくぐって山道へ。
トレースがついていて暗くても歩きやすい。
1時間ほどで一本松茶屋に到着し、ここで休憩。

登山道脇にあった雪の塊。どうやったらこんな風に溶け残るのだろう?
お助け水を過ぎ、5時52分、洞辻茶屋。
ここからは奥駆道の稜線で東側が開けて見える。空がほんのり明るくなっている。

洞辻茶屋より東側。

この日は月が明るくて歩きやすかった。同じく洞辻茶屋付近より。

12年前一緒に登った義弟。洞辻茶屋にて。
あの時、こういう建物がどれほど助けになったか。
ところで。驚くかもしれないが、当時は登山靴というのを持っていなかった。
普通の運動靴で雪山に登っていた。
当然、足はビショ濡れ。すごく冷たい。
冷たい、から痛い、になり、それを過ぎると感覚がなくなる。
私は「雪山とはそんなもの」と思っており、
足の痛いのを我慢しながら(早く麻痺してくれんかなぁ)と思っていた。
今やったら泣くかもしれん。
稜線からは雪が多くなり、多少歩きにくい。
しかしトレースが続いている。陀羅尼助茶屋を6時13分、この辺りで(失敗した)と思った。
どこか視界の開けた所で撮影を、と考えていたのに、木が邪魔で適当な所がないのである。
もうすぐ日の出だ、ええい、クソッ!さっきの洞辻茶屋で留まっていればよかったのに!
6時32分、鐘掛岩。
(よし、アレに登ろう)見た目はいかついが鎖があって案外簡単に登れる。

なんとか間に合った。
岩のテッペンは視界が開け、辺りの山々が見渡せた。
ふう、いい気持ち…おっと、のんびりしておれん、早速撮影。

しかし日の出はイマイチ…

西側。遠くに金剛・葛城山を望む。

稲村ヶ岳と大日山。
天気は悪くなかったが、日の出の景色は今ひとつ。
でも気分は悪くない。風もないし、それほど寒くない。
ここでゆっくり過ごすことにした。温かいコーヒーとタバコ。
悠然とした景色に囲まれて、のんびりとしたひとときだった。

鐘掛岩上より。高所恐怖症の方にはオススメしません。

12年前。ダウンジャケットとか着てるし…
7時29分、鐘掛岩出発。ここから先はトレースがなかった。
(ここから引き返したのかな?)私はワカンを着けた。
それでもズブズブの湿った雪でズポズボと足を取られる。

西の覗岩。

西の覗岩から下を覗いてみる。


大峰山寺の門。

そういえば、こんなんしてたっけ。12年前。

8時34分登頂。

バンダナショット。


勿論、先にはトレースはない。

なんかシュールな風景。この日はずっと薄曇りの天候。
山頂でまた少しのんびりする。写真を撮ったり、お菓子を食べたり。
ちょっと思い出に耽ったりもする。
そういえば、あの時、弟に持たせていたカメラがなくなっているのを陀羅尼助茶屋で気付いて
オレ一人山頂まで登り返したんだったっけ。すごい元気やったんやな…
さて、そろそろ出発。9時4分。
次に目指すは稲村ヶ岳。
レンゲ辻、念仏山を越えて山上辻へ至る。
この時期にそこを歩く人はたぶん、いない。
間違いなく、今回の山行の核心部になるだろう。

山上ヶ岳頂上を辞す。

大峰の山々を望む。
山上ヶ岳から急な下りを下り、岩峰を一つトラバース。
思ったより大変な道だ。また、雪がグズグズで、しんどいラッセルを強いられる。
いや、こらぁエライこっちゃ。全然進まんぞ…

トラバース中、下を覗く。今回このアングルやたら多いな。
9時44分、レンゲ辻に到着。
女人結界をくぐり、念仏山へ。
ラッセルしながら尾根筋をたどっていたが、登りにくい箇所があり北側へトラバース。
そのまま巻いていたが、傾斜がずいぶん急になってきた。
(このまま巻くか、尾根に登り返すか)
尾根はいつの間にやらはるか上になっている。しかしこの急斜面のトラバースを続けるのは危険だ。
結局尾根まで登り返すことにして、急斜面を必死に登る。
所々に木があって助かった。それを掴んで体を持ち上げる。なければもっと苦労していただろう。
5歩進んでは休み、3歩進んでは荒い息を吐く、といったことを続けて、なんとか尾根へ出る。
木が邪魔で進みにくいが、さっきのトラバースよりは安全だ。
10時48分、念仏山頂上に到着。看板も何もないが、一番高いのだからここが頂上だろう。
やれやれ、と休憩をとる。

休憩中。すごく喉が渇いていたのでジェットボイルで雪を溶かして飲みまくる。


まだ大変な道が続きそう、ここで取っておきの“カーボショッツ”を飲んだ。
11時22分、出発。
せっかくカーボショッツを飲んだが、この後はそれほど苦労もせずに、12時5分、山上辻に到着。
懐かしの稲村小屋が建っている。

稲村小屋。
稲村ヶ岳に初めて登ったのは山上ヶ岳に登った翌年、
2001年3月4日。危険箇所がある、と覚悟して登ったのだが、
案外すんなり登れてしまい、山上ヶ岳に比べると記憶が薄い。
そろそろ危険箇所だろう、と思いながら進んでいると、頂上に着いてしまった記憶がある。
休憩の後、12時34分稲村ヶ岳に向かい、進み出す。
先程までと違い、トレースだらけで歩きやすい。
ワカンを外し、アイゼンだけで歩く。

大日山を望む。

大日山のトラバース。危険箇所だが、しっかりした踏み跡があった。
昨日今日と天候が良かったのでたくさんの人が登っただろう。

トラバースを振り返る。

大日山を振り返る。
13時20分、稲村ヶ岳頂上に到着。
相変わらずの薄曇りだが、展望はいい。
しばらく喜びに浸っていたが、そのうち団体さんが登ってきた。
静かな山頂が一気に賑やかになった。

稲村ヶ岳山頂にて。

11年前、稲村ヶ岳山頂。
「いらっしゃいませ、ローソン稲村ヶ岳山頂店です」とかほざいているヤツがいた。
ホンモノのバカだ。
13時40分、山頂を辞し、次は大日山へ。
登り口の分岐で団体さんとお別れ、と思っていたら、後からついてきた。

大日山への急登。
14時、大日山の頂へ。
ついで団体さんも到着。
後の方の人が、「大日には登らん言うてたやろ〜」と笑いながらこぼしていた。
「いや、でも兄さんのおかげで登れてよかった」と、ミカンをくれた。
(に、兄さん?イヤ、オレ、なんにもしてへんし…)
聞けば皆さん全員還暦を過ぎた方々だとおっしゃる。
一番若い方が62歳。私のようなオッサンでも「兄さん」になるワケだ。
それにしても皆さん元気。そして年齢不詳だ。

ミカンをいただいた。これがすこぶるウマかった。ビタミン不足かな?

大日のキレット。

14時47分、稲村小屋に戻ってきた。

今回のザック。テントやゴツいダウンジャケットが入っていたりする。今回は使わなかったけど…
半時間ほど休憩し、15時16分出発。
道はしっかり踏み固められており、すごく歩きやすい。

とはいうものの、いやらしいトラバースが何度か出てくる。
このアングルの写真もこれで終わりな。




ドアミを過ぎると植林帯になる。
16時40分、法力峠を越えて17時27分、母公堂に到着。
(14時間か、まあまあやったな。)

母公堂に帰ってきた。私にしては珍しく明るいうちの下山。

帰り、いつものラーメン屋で夕食を食って帰った。
