« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »

2009年12月の9件の記事

2009年12月14日 (月)

初冬の金剛山 09年12月13日

 私には持病がある。「急性どっかへ行きたい病」。たまに発作がある。12月12日、仕事中に急に発作に襲われたので、13日、金剛山に登ることにした。ただし、この日は引っ越し先の家の掃除をしにいくので、夜中に登り、朝日の写真を撮ってサッサと下りようと決めていた。

 夜間登山になるけど、誰か一緒に行かないかな、と少し誘いをかけてみると、越路さんがご一緒して下さることに。「金剛山の仙人」越路さんと登れるのは心強い。3時にお迎えにあがります、と約束し、早く寝ようと考えていたが、家族でボーリングに出掛けたので、眠るのが少し遅れた。

 目を覚ます。当然、真っ暗だ。目覚まし時計は鳴っていない。さすが、オレ。遊びに行く時は、大抵、目覚ましが鳴る前に目が覚める。一服のためベランダに出、ケータイのメールチェックをすると、越路さんよりメールが入っていた。留守電も入っている。「今、どこですか?」(ん?)ケータイの時計を見ると、5時。

 ええっ!?なんでや!急いで越路さんにメールを送ると、すぐに返信があった。(まだ起きてはる…)電話を掛ける。「チョリオです…ごめんなさい…今からでも、行けますか…?」「知るか!ボケっ!」と激怒されても仕方ない状況にもかかわらず、越路さんは「でも、今日は用事があるんとちゃうの?大丈夫?」とこちらを案じて下さった。「すぐ、イキます!暫し、お待ちを」

 朝日を撮るなら、ちはや園地近くの展望台で、道もしっかりしているし、念仏坂を登ろうと考えていたが、登山口に着いた時、すでに7時を過ぎていた。もちろん、すでに日は昇りきっており、明るい。越路さん、“お任せコース”でお願いします。「どこ、登りましょう?」と伺うと、「ババ谷、登ってみましょうか」と。無論、否もない。

 ババ谷、といっても、谷を歩くのはほんの少し。堰堤から右の尾根に取り付く。かなりの急登。結構厚着をしていたので、汗が噴き出してきた。植林の道だが、気持ちいい。越路さんは、金剛山を登る時はいつもなのだが、「この道はアナグマ」「この道は寺谷」といった具合に教えてくださる。しかし出来の悪い生徒である私は、殆ど、覚えていない。それどころか、自分がどこを登っているのかも、実は定かではない。でも、楽しい。独りで登る愉しみ、というのも、もちろんあるが、やはり話をしながら登る山の方が楽しい。

R0034141091129
ババ谷を行く。

R0034149091129
かなりの急登。

 文殊尾に合流、植林から自然林へ。少し強い風。「ここはもっと寒くなったら、霧氷が綺麗ですよ」と教えてもらう。この日はもちろん、霧氷は見られなかったが、穏やかな天候で、清々しい、いい気分だ。少し汗ばんだ体に、風が気持ちいい。まだ8時過ぎだというのに、随分たくさん、下山している人とすれ違った。8時50分、山頂広場に到着。

R0034186091129
せっかくやから、記念撮影。

 展望はまずまず。大阪平野を一望。うっすらと、淡路島、六甲山。巻き道を通り、展望台に登ってみる。高見山、三峰山、奈良の山々。大峰山脈が見える、と最初思ったが、どうやら違うようだ。ちはや園地のログハウスに入って休憩。なーんも持ってきていない私は、越路さんよりミカンとカップラーメンの配給を受けた。いつももらってばかりですいません…

R0034201091129
ちはや園地のログハウスにて。

 「地蔵尾根を下りますか」と越路さん。もちろん、異論はない。ダイトレ道を進み、着飾ったお地蔵さんのところで、「こっちです」と。地図で細尾と表記している尾根だが、お地蔵さんが目印なので、地蔵尾根と呼ばれるようになったのだろう。

R0034208091129

R0034218091129
目印のお地蔵さん。

 地蔵尾根は、笹の道だった。時折、肩まで埋まる笹藪をかき分けながら下りてゆく。結構、楽しい。

R0034229091129

091213
越路さんに撮ってもらった。

 笹の道が終わると、ロープウェイの支柱に出た。上と下の駅が見える。そこから先はまた植林の道だったが、いろんな木の実が目を楽しませてくれた。

R0034242091129
ロープウェイの支柱。下に小さく駅が見える。

R0034237091129
何の実だろうか?

R0034252091129
ムラサキシキブ。

R0034266091129
ツルリンドウの実。鮮やかな赤。ちょっと美味そう。

 11時、百ヶ辻に下山。登り始めて4時間という、短い時間だったが、堪能できた。登り下りとも初めての道だったし。やっぱり、金剛山は、いい山だ。越路さん、今回はすいませんでした。お付き合いいただき、ありがとうございました。

R0034268091129
下りてきました。おっと、最後にピンボケや…

2009年12月11日 (金)

ノジュカーズのこと。(1)

14489423_3486082934

 私がたまに着ている「野宿人」とプリントされたTシャツ。私のブログを見て、「あのTシャツは、何?」と最近、何度か尋ねられた。まあ、ノジュカーズのことはそのうち書こうと思っていたので、そろそろ書いてみよう。しかし、この話は私の思い出話です。はっきりいってどーでもいい内容です。ごく一握りの人以外には退屈だろうと思います。

 「ノジュカーズ」の名前は「野宿」からきている。いろんなところに行ってテントを張り、火をたいて騒ぐという、集団である。野宿ではなくキャンプと言ってしまっても構わないのだが、キャンプ、という響きが薄汚い我々にはどうもそぐわなかった。やはり野宿、の方がしっくりくるのである。

 ノジュカーズが誕生したのは91年8月30日。今から20年近く前である。いやあ、そんなに経つのか。じゃあオレはまだ20歳位か。そう、20歳の私と、中学生の弟、ユンオが四国旅行に出かけ、ノジュカーズができた。私は幼い頃から6歳年の離れた、この弟が可愛くて仕方がなかった。アウトドア派の私は、以前から弟とよく釣りや虫取りに出掛けたものである。今回の2泊3日の四国旅行は我々としては冒険とも言えるものだった。青春18キップを使った、鈍行列車でののんびり旅である。2泊目に泊まろうと思っていた宿が、理由は忘れたがダメになった。確かサンリバー大歩危とかいう安ホテルだ。金がないので、他に泊まれる宿はなかった。弟と「どうしよう?」と相談して、野宿すっか、ということになった。小歩危駅下の川原で眠れそうな所を探す。私は右、ユンオは左。急峻な渓谷だから、デカい岩ばかりで、眠れそうな所はなかなかなかった。それでも狭い砂地を見つけ、私が戻ってみると、なぜかユンオはロッククライミングをしていた。こいつ、アホや…歩ける道がなかったので岩にへばりついて移動していたらしいのだが、そんな危ないとこ、行けるわけないやろうに。ともあれ、私の見つけた砂地に落ち着いた。装備はビニールシート、のみ。ライトは単一電池4本の大きな懐中電灯。暇つぶし用の駅で拾ったジャンプ。ノジュカーズ用語でいうところの「ピュア野宿」である。そんな状態だったが、不安はなく、むしろウキウキして夜を迎えた。しかし熟睡中だった明け方の3時頃、雨が降ってきて駅舎まで逃げた。雨男チョリオの伝説はこの時から始まったのかも知れない。

 翌年の92年9月1日。正式なノジュカーズの活動はこの時から始まった。HとWの二人が、初めて野宿に参加したのである。ちなみにこの二人と私を加えた3人は後のノジュカーズ「幹部」となるのである。HとWとは同じ高校、同じブラスバンド部の同期であった。高校生の時はそれほど仲の良い友達でもなかったが、卒業した後、あるショッキングな出来事があり、よくつるむようになった。
 ある時Wから「Hって今一人暮らしなんやて。遊びに行ってみないか」というような誘いがあった。二人でそのマンションに行ってみると、入れない。オートロック式の出入り口なのである。誰か居住者が出入りするまで入れないのである。当時は携帯電話などない。それどころかH宅には電話すらなかった。暫く待っていると消防車が来て消防士が我々に質問してきた。「この辺りで火事があったようですが知りませんか?」と。我々は何も知らない。もうしばらくすると、ドアの向こうにHが見えた。「よう来た、早く早く」なぜか随分急いでいるようだ。久しぶりの対面もそこそこに、彼の部屋に入る。暑い。「実はな、二人が来るからご馳走作ろうとコンロめいっぱい使ってたら火災報知器が鳴ってな」
 犯人はおまえか。
「ほんで火災報知器は?」
「はずして冷蔵庫で冷やしてある」
 凄いヤツがいたもんだが、こんなものはほんの序の口である。イベントメーカーの異名を持つ、彼のことを知っている人には分かるはずだ。高校の時、Hはおとなしく、真面目な奴だった。あだ名も「お地蔵さん」、はっきり言ってしまえば面白味のない奴だったのに、なぜこんな壊れた性格になってしまったのだろうか…まあその話も面白いからそのうちに。彼のことを書き出すと書くことが多すぎて困る。
 まあ、その久々の対面から我々3人はよく一緒に遊ぶようになったのである。で、私は二人に野宿の話をしてみた。「やってみんか?」と。私は四国の初野宿の後、ユンオと2度ほど野宿しており、けっこうハマりつつあったのだ。「やってみよう」
 かくして、9月1日、3人は保津峡で野宿をしたのである。この時実は凄いモノを作って持っていった。SIS、スーパーイマフクシステム。ロケット花火を一度に大量発射できるシステムだが、たかが花火と侮ってはいけない。アレはもはや花火ではなく兵器である。現在ではSISの使用はノジュカーズ条約により禁じられている。ただし、危ないから、とかではなく、大量にゴミが出るからである。こんな大がかりなモノは持って行っていたが、この時の装備は相変わらずビニールシートとデカい懐中電灯のみ、であった。

 保津峡の野宿がよほど楽しかったのであろう。我々3人は1週間後に次の野宿に出かけた。美浜海岸、久々子海水浴場である。Hの入れ込みようは凄まじく、テント、ガソリンコンロ、飯ごうなどの装備を自分のお金で調達していた。その装備の多さからこの時の野宿は「戦後最大の物量作戦」と呼ばれている。ただ、私はこの時テントで寝ることを「潔くない」と思っており、一人で外に寝た。しかし蚊の猛襲に遭い、1時間もしないうちに白旗を揚げてテントに逃げ込んだことを覚えている。

つづく、かな?

2009年12月 8日 (火)

金剛山 09年11月29日

 うお。もう10日も経っている。覚えてるかなあ、オレ、頭悪いからなぁ…

 この日はミクシィで知り合ったTakeshiさんと金剛山に行く日。Takeshiさんとマイミクになったのは偶然で、私が別の「たけし」さんを探していて、たまたま迷い込んだのである。金剛山によく登ってらっしゃるし、子連れでアウトドアを楽しんでいるというので、すごく親近感が湧き、思い切ってメッセージを送ってみたのだ。それで一度一緒に金剛山に登りましょう、と約束したのだ。金剛山といえば、私の強い味方、「仙人」越路さんもお誘いした。越路さんとTakeshiさんは既にマイミクになっており、ビックリ。

 で、Takeshiさんに「どこから登ります?」と伺ったところ、「松の木·わさび谷·ババ谷·文殊中尾根」とのお返事。全くワカラン…地図を見てみると、文殊尾根、ババ谷の表示はあるけど、松の木、わさび谷なんて地図にも載ってへん。こらアカン、ドラえも〜ん、じゃなかった、越路さ〜ん!にメールしたところ、「じゃ、わさび谷がよろしいでしょう」と即答。はい、そうしましょう。

朝、車で越路さんを迎えに行き、金剛登山口バス停に9時前に到着。そこでTakeshiさんと初対面。揃った所で、出発。

R0034021091129
駐車場の日陰には霜が降りていた。

 越路さんの案内で歩き始める。まつまさから黒栂林道を進んでいく。以前カトラ谷行く時に歩いた道だ。そのカトラ谷の分岐辺りからわさび谷に入る。谷というものの、流れはない。徐々に植林から自然林に代わり、最初はぎこちない感じだった我々の会話も次第にほぐれてきた。

R0034032091129

R0034034091129
紅葉の名残。

 どこをどう登ったのか、今となっては定かではないが、大日岳に到着。今日はいい天気。大阪平野が見渡せた。大日岳から山頂広場までは、ほんの少しだ。山頂広場でTakeshiさんのマイミクであるキバラーさんと待ち合わせているとのこと。少し話を聞いたことがある。会うのが楽しみだ。

R0034039091129
山頂で記念撮影。

  キバラーさんと合流し、4人で香楠荘へ昼食を食べに行った。食べ終わり、私は頃合いを見て自分で撮った写真のアルバムを出した。適当に選んだアルバムだったが(ああ、やっぱりオレはアホやなぁ)わざわざ一番重たいアルバム、そして中身は北穂高と八ヶ岳。(金剛山の写真持ってくればよかった…)しかし3人は、たぶん退屈な写真だったにもかかわらず、褒めて下さった。ありがとうございます、どうもすいません…

 香楠荘を出て、金剛山頂まで戻り、下山はセト経由で黒栂谷を歩く。キバラーさんも、何度も金剛山に登られている方で、すごく詳しい。Takeshiさんと越路さんと、3人での金剛山の会話は、正直よく解らなかった。金剛山は奥が深い。途中、ずいぶん崩れた箇所があったが、台風の被害だそうな。登山口まで戻ってきて解散。秋の最後、緩い日差しの中での、のんびりとしたいい山歩きだった。

R0034046091129

金毘羅山〜翠黛山〜焼杉山 大原の3座を縦走 09年12月6日

 いかん!寝坊した!私は慌てて飛び起きた。着替えて顔洗って…あ、そや、弁当!もはや作っているヒマなどない。アルミホイルにご飯と塩昆布を乗っけて丸めた。でもまあ、おかげでなんとか余裕を持って集合場所の出町柳に到着。今日は囲炉裏のはんなりオフ。蓮さんとmayumiさんの主催する人気のオフである。いつも人数が多いが、今回は今年最後とあってか38人の大所帯である。

メンバー:mayumiさん、蓮さん、りょうさん、ぐーさん、山雀さん、みのさん、エトさん、寅さん、どんかっちょ!さん、空っ風さん、白髭さん、わ−ちゃん、ぜんきょうさん、じゅんさん、高やんさん、磯やんさん、おむすびコロリンさん、モリボウさん、O型さん、ハリさん、DKさん、しろさん、ようこちゃん、たろうさん、ウネさん、はちどりさん、smochさん、jennyさん、Keyさん、yosipiさん、越路さん、ようちゃん、yukisan、pikkuさん、つばめさん、船橋太郎さん、マスタ−さん、チョリオ。ああしんど…

 本来ならこの日、別の山行に参加する予定だったが、悪天予報のため中止、急遽こちらに参加させていただいた。前日はオーケストラの合宿で、よせばいいのに宴会にも出席し、帰宅したのは2時だった。準備もそこそこ、眠りに就いた。

 今日の山行は京都大原の三座、金毘羅山、翠黛山、焼杉山を縦走するコースである。出町柳からバスに乗り、戸寺で下車。そこから長閑な大原の里を江文神社まで歩く。そこで自己紹介、グループ分けが行われ、いざ、出発!

R0034060091206
江文神社。

R0034068091206
登山口。

 登山道はのっけからの急登、周りは植林、ちっとも面白くないが、まあ最初はだいたいどこもこんなものだ。しばらく辛抱して登ると尾根道に出、道が緩やかになった。少し進むとロッククライミングのゲレンデ、各グループごとに見に行く。一番最後のグループだった私は、ハリさんとのお喋りで気が付いた時には、皆さん帰ってくるところだった。「すぐやから見に行ったら?」のお言葉に甘え、行ってみると、先日知り合いになった女性がクライミングをしていた。偶然の出合にビックリ。危うく長話になりそうだったが、そこは堪えてダッシュで戻った。

R0034076091206
初冬の山道。落ち葉を踏みしめて歩いていく。

R0034081091206
ロッククライミングのゲレンデ。見晴らしが良い。

 待ってて下さったグループの仲間に礼を言い、息も絶え絶えにスタート。囲炉裏では貴重な同じ年のたろうさんと話ながら歩いた。たろうさんは走ることが好きで、前日18km走ったとのこと。本当は30km走りたかったんですけどねぇ、疲れちゃって、とか言ってる。たまに駅から踏切まで走る程度の私にとっては驚嘆に値する。いくら好きなこととはいえ、ほとんど毎日長距離を走っているとのことで、本当に尊敬してしまう。(あんさん、ほんまに同じ年?実は10歳くらいゴマかしてるんちゃう?)まあ、仮に私が30歳でも、そんなに走れないと思うが…

R0034085091206

 私が囲炉裏に仲間入りさせてもらってちょうど1年。「チョリオさん、すごいねぇ」というような声をよくかけていただく。9割がたお世辞とはいえ、それまで独りだったので別に意識もしていなかった。しかし、本当にすごいのは、こうして地道にトレーニングを積み重ねている人や、毎日のように山に登っている人だと思う。私は、その山に登ってみたい、という気持ちや、1〜2ヶ月といった短期間の集中力、瞬発力、といったものは他人よりも強いと思う。しかし、持続力、意志などは滅法弱い。筋トレとかのトレーニングも目的の山が終わると止めてしまうのである。体力がないくせに登りたい、見てみたい気持ちは人一倍。だから荷物を軽くしたり、体重を落としたりするのである。ちっともすごくなんかない。

R0034092091206
ハングルで書かれた石碑。mayumiさんになんて書いてあるか教わったが、忘れた。

 そうこうしているうちに金比羅山に到着。ここで昼食である。今朝作ったおむすびもどきを食べた。ちなみに今回、適当に準備をしてきたので忘れ物が多かった。コンロも忘れたし、カップも忘れた。越路さんが親切にもカップを貸してくれ、じゅんさんのおいしい善哉にありつくことができた。他にもみかんやチョコレート、レバー炒め、ケーキ、コーヒーなどなど、多くの差し入れがあり、ひもじい思いをせずに済んだ。しかしいっつももらってばっかりやなあ…

R0034093091206
金比羅山にて。

R0034094091206
今日の昼飯。

Photo
バンダナショット。

 大休止の後は、いきなり激下り。この後、先頭のmayumiさん、珍しく寄り道なさったけれども、登り返して2座目の翠黛山に到着。さらに1時間少々歩くと木々の合間から比良の山々が見えた。奥の方には霞んで琵琶湖も見える。そこからわずかで本日の最高峰、3座目の焼杉山に到着。

R0034095091206
激下り。

R0034119091206
ちょっと寄り道、みんな一斉に地図で確認。

R0034124091206
焼杉山到着。

 ここからはほとんど下る一方。同じグループの、これまた貴重な同じ年くらいのDKさんと話をしながら歩いた。DKさんは大峰の山をよく歩いていたとのこと。また、装備面ではよく安物買いの銭失いを経験されたとのことで、どうも私と同じようなことをされていたようだ。しかし後で分かったことだが、DKさん、ひょっとして年下かもと思っていたが実は…いや、もうやめとこ。女性の年齢では何度も地雷を踏んでいる。

R0034126091206
落ち葉の山旅も、もうすぐおしまい。

 お昼を過ぎて、いつしか西日になり、ふかふかの落ち葉を踏んで行く山歩きも、そろそろ終わりである。静かな、地味な山旅だった。しかし、こうしたなんでもない山歩きこそが、山の愉しみの真髄ではないだろうか、としみじみ思った。

R0034133091206
穏やかな西日の中を行く。

 下山後は恒例の宴会、もとい、反省会。皆がお酒を飲んでいる中で一人トンカツ定食をいただきました。やっぱり腹減ってたんやな、オレ。

22_3

燕岳・大天井岳 単独(5)09年11月21日〜24日

24日・4日目
 3時起床。出発の準備を済ませて外へ。快晴。月もなく、凄い星空だ。小屋前のテーブルに寝転がって、星を眺める。煙草に火を点けてぼうっとする。吸い込まれそうな錯覚に陥る。(ああ…来て、よかったなぁ…)なんてしみじみ想うのも5分が限界。さ、寒い!

10326218b
東向き、5分程露光。地平が随分明るく写っているけど、肉眼ではまだまだ暗い。

R0033893091121
闇夜の一人宴会。そーとー寒いっス。

 5時半頃、星の撮影を終えて日の出のポイントへ。二日前は大勢の人で賑わっていたが、今日はオレ独り。そうか、平日やもんな。待つ。寒い。東の空がようやく紅くなってきた。のっぺりとした景色に少しずつ陰影が現れる。日が出る方向には八ヶ岳と南アルプス、その間に富士山。そして雲海が広がっていた。

10326219b_2
撮影ポイントより。松本の街灯りかな?

11326001b
きれいな雲海。もうすぐ夜が明けます。

 6時を過ぎ、刻一刻と景色は表情を変えていく。どの表情も美しく、オレは好きだ。そしてついに太陽が雲海の上に現れた。陽の光は槍ヶ岳をピンクに染め上げる。おお…素晴らしい…日が出てからは表情の移り変わりがさらに早くなり、オレは大忙し。それにしても。二日前撮ったのと、きっと同じような写真ばっかりなんだろうな、とチラリと思わなかったでもない。

11326010b
またこの写真か、なんて思わないように。

11326008b
陽が差す直前の大天井岳と穂高連峰。

11326006b
日の出直後、八ヶ岳。(クリックすると大きくなります)

11326025b
2度目だけど、やっぱり見とれてしまう。(クリックすると大きくなります)

12326915b
雪模様と大天井岳。

12326925b
かっちょええわ…

12326936b
黄金色に輝く雲海。(クリックすると大きくなります)

 7時20分。タイムリミット。今日は夕方までに帰阪しなければならない。もっと余韻に浸っていたいなあ、という未練を断ち切り、下山開始。眼前には雲海が広がり、八ヶ岳、富士山、南アルプスが浮かんでいる。贅沢な景色。合戦沢ノ頭で槍ヶ岳が見えた。蒼天に映える、まばゆい槍。厳しいはずの鋭峰が、なんだか優しく見えた。

13327230b
ほんと、いい天気…

R0033935091121
思わず笑ってしまいます。

R0033980091121
下山時、目の前の光景。

R0033984091121
お世話になった燕山荘を振り返る。

R0034007091121
にくい演出。

R0034009091121
無事、下山完了。ムスコよ、父ちゃん迎えに行くぞ!

14327336b
帰りの林道にはサルがいっぱいいた。そういえば行きしなはカモシカを見たな。

==DATE==
20日
2120岸和田発

21日
0300頃中房温泉着・0334中房温泉発=0344燕岳登山口=0417第一ベンチ=0451第二ベンチ=0533第三ベンチ=0622富士見ベンチ=0712合戦小屋着・0746合戦小屋発=0808合戦沢ノ頭=0916燕山荘着・0933燕山荘発=1012燕山荘着・1500頃燕山荘発=1632燕岳頂上=1720頃燕山荘着

22日
0430頃起床・0530頃燕山荘発・0730頃撮影終了、出発=0922大下りの頭=1146喜作レリーフ=1313大天井岳頂上=1324大天荘

23日
0800頃起床・0922大天荘発=1015大天井岳着・1110頃大天井岳発=1133喜作レリーフ=1349大下りの頭=1428蛙岩=1540燕山荘

24日
0300起床・0720撮影場発=0751合戦沢ノ頭=0759合戦小屋着・0815頃合戦小屋発=0843第三ベンチ=0904第二ベンチ=0916第一ベンチ=0938燕岳登山口=1730頃岸和田着

22_2

燕岳・大天井岳 単独(4)09年11月21日〜24日

11月23日・3日目
 目が覚めた。(あ…寝過ごしたな…)なんだかやけに明るい。時計を見ると8時だった。テントのファスナーを開けると窓から青空が見えていた。(ウソ…?)寝ぼけながらのろのろとテントから這いだし、外に出てみた。快晴。風もほとんど、なし。笑ってしまう程の、快晴だった。(マジで?)昨晩の不安がバカらしく思えるのと同時に、朝日を見逃したことを後悔した。ケータイで目覚ましをセットしていたのだが、無意識のうちに消してしまったらしい。いや、普段なら山では目覚ましがなくても日の出前に目を覚ますのだが。まあ、ええや。だいぶ疲れてたんやろ。んじゃ、出発!

R0033754091121
小屋の窓から見えた青空。だいぶ寝ぼけてる…

R0033758091121
大天荘の冬季小屋前。

 準備を済ませて9時22分、大天荘冬季小屋を出た。いきなりイイ感じのシュカブラ。撮影。小屋から大天井岳頂上はすぐなのだが、撮影ばかりしていて1時間程掛かってしまった。

06326407b

R0033763091121
大天荘を振り返る。

06326408b
シュカブラと槍ヶ岳。

 10時15分、再び大天井岳山頂。昨日とうって変わって快晴。全方位の大絶景!「うおぉ〜〜〜〜〜〜〜!」声の限り、息の続く限りに叫んだ。(ありがとう、山の神サマ、本当にありがとう!)悪天だと思っていただけにこの青空はすごく嬉しかった。全く夢のようだ。ようやくザックを降ろし、煙草に火を付け、心をなだめる。(どうどう。まあ、時間はたっぷりある、落ち着いて落ち着いて。)まず、昨日取り損ねたバンダナショットを撮った。そういえばデジカメは昨日小屋に入ってから正常に戻っている。どうも寒さがイカンようだ。風は相変わらず強いが昨日ほどではない。絶景に目が慣れた頃、カメラを出して撮影。西側、大迫力の穂高、槍を写す。北側、今から歩く稜線を眺める。はるか向こうに燕山荘が見える。その向こうには憧れの鹿島槍ヶ岳も見えた。その槍ヶ岳と燕岳の間、西側から北側にかけて、白い夥しい数の連山がある。鷲羽岳やら水晶岳といった雲ノ平周辺の山々だ。まだ足を踏み入れたことのない、憧れの地である。コーヒーを沸かして飲み、もう一服した後、頂上を後にした。

R0033782091121

R0033770091121

R0033785091121
いろいろ撮ってみた。

06326432b
大天井岳頂上より槍ヶ岳。

06326433b
大天井岳頂上より穂高連峰。

R0033788091121
大天井岳より燕岳方面。これから歩く稜線。

 碧天の元、気分は悪かろうはずはない。ただ、身体はかなり疲労していた。(時間はたっぷりある、ゆっくり、じっくり)今回はなぜかよく鼻水が出、鼻が詰まった。詰まると口で息をするが、そうすると喉が痛くなってくる。鼻が詰まる度に手鼻をかんだ。これがなかなか、難しい。勢いよく出した鼻水がスパッツに付いたり、靴に付いたり。以前韓国に留学していた折、手鼻をかむ人をよく見かけたが、実に上手かった。タン壺にちゃんと命中させていた。ハッとする程キレイな女性がいきなり手鼻をかむのには唖然とさせられたものだが…

R0033818091121
半袖です。

07326606b
左奥、立山。

07326617b
大天井岳。

R0033826091121
大天井岳と槍ヶ岳をバックに。

 14時前、ようやく大下りの頭に着いた。大天井岳側から行くと大登りである。大きく肩で息をする。随分時間がかかったが、ここからはアップダウンも減り、楽になる。燕山荘もだいぶ近くに見える。振り返ると大天井岳。この時期、日没はかなり早く、16時半頃である。すでにだいぶ日が傾いている。

07326620b
尾根の東側は風がないが、日陰で雪も多い。

07326621b
槍ヶ岳は昼を過ぎると逆光になる。

R0033831091121
爽やかな青空にダケカンバが映える。

07326628b
笠ヶ岳。

07326633b

 14時半、蛙岩をくぐって通過。どこが“蛙”なのか、何故“げえろ”と読むのか、そんなことはまあどうでもいい。15時40分に無事、燕山荘へ戻ってきた。

R0033838091121
蛙岩通過中。

R0033860091121

07326635b
燕岳付近の奇岩。右上に小さく月が写っている。

R0033875091121
燕山荘に帰ってきた。

 ザックを降ろし、受付を済ませ、すぐに撮影へ。三連休は今日までなので、今晩泊まる登山客は少ない。山は静かだった。快晴は続いていた。空には雲一つない。夕陽の赤みがかった景色。かじかんで指先が痛いのを我慢しながら、じっくり山を見つめ、景色を切り取っていった。いや、写真はあまり撮らなかった。なんとなく、気分が乗らない。夕陽が笠ヶ岳辺りに沈んだ。山が急に冷たい表情を見せる。オレの気分もなんだか冷めていた。岩に腰を落ち着け、タバコに火を点けた。静かだ。槍ヶ岳を見る。何か、“存在”を感じる。静かな山に、独りで居る時にたまに感じる。槍のおやっさん、ひさしぶり…心の中で話しかける(よう、来たの)ああ、また、来たで…目を瞑った。指先は相変わらず痛い。しかしもうだいぶ慣れた。辺りは静まりかえっている。今は風もない。無音。遠くの方で、キーンという、硬質な、金属的な冷たい音がする。自分の呼吸する音が聞こえる。自分の心臓の音が、やけに大きく聞こえてくる。目を開けた。空の紅は殆どなくなり、槍ヶ岳は冷たくなっていた。オレは一度、大きく息を吸い込み、吐きだした後、槍に背を向け、小屋へ戻った。

08326125b_2
雲海の向こうに富士山と南アルプスが見える。

09327103b
夕陽に映える燕岳。

09327117b
槍ヶ岳と夕陽。

10326201b

10326202b

 燕山荘に戻ると猛烈にいい香りが漂っていた。(いや、今日は残ったお菓子を…)「すいません、夕食って今からでも頼めます?」(!!)「いけますよ」いやあ、さすがナンバーワン山小屋だ。今日の夕食は好物のエビフライと魚の煮付け、ほか諸々。たいへん、美味しかった。

R0033887091121

10326206b_3
空がまだ少し明るいうちに夜景を写す。バックは富士山。(クリックすると大きくなります。)

10326208b

 夕食の後、一服のために外に出る。相変わらずの快晴。星が綺麗だ。最後の夜、今夜はまた、心ゆくまで星空を堪能しよう。

10326209b
右上にオリオン座。これくらいはオレでも分かる。

10326213b
月光に照らされる燕岳と星。月が沈んでから写した写真の方が星は綺麗だが、燕岳がほとんど写らない。

22


2009年12月 3日 (木)

燕岳・大天井岳 単独(3)09年11月21日〜24日

11月22日・2日目
 4時半起床。準備を済ませて5時半過ぎに撮影ポイントへ到着。すでにたくさんの三脚が並んでいた。東の空が明るくなっている。先にデカい三脚で陣取っているベテラン風の方々は恐らく槍ヶ岳に朝日が差し込むのを狙っているのであろう、「一発入魂」といった感じで落ち着いて談笑などを交わしているが、私は三脚をあちこちに移動させて、見るものをどんどん写真に写していく。なにせ360度、全方位、美しい光景だ。せわしなく動いてはあちこちの景色を切り取っていった。ほぼ、素手で撮影していたため、涙がにじんでくる程指が痛くなっていた。

03327012b
東の空、日の出前。

 槍ヶ岳の先端がピンク色に染まる。おお、これは絶対に逃せない。これぞオレの見たかった光景。動くのを止め、三脚を構え、尻を雪の上に据えてじっくり見つめる。談笑していたベテラン風の方々もいまやじっとその時を待っている。その時、そこにはかなり大勢の人がいたはずだったが、しん、と時が止まったかのような静寂が訪れた。オレはその時にはすでにカメラのセットを終え、シャッターレリーズを片手に固唾を呑んで槍ヶ岳を見つめていた。じわり、と赤い部分が増す。槍ヶ岳は朝日を受け、神々しく輝いていた。(う…美しい…)それは本当に美しい光景だった。長い間見てみたかった景色、オレは暫し放心し、見とれていた。

03327027b
感無量…(クリックすると大きくなります。)

 刹那、周りのシャッター音で我に返り、慌ただしくシャッターを切り始めた。夢中で撮った。槍ヶ岳を何枚か撮り終えるとまた日の出を撮り、富士を撮り、穂高を撮り、燕を撮り、立山を撮り、もう少しカメラを右へ…当然そこには後立山の鹿島槍ヶ岳がいた。(晴れてるやんけ…)シャッターを切った。

04326502b
いうことなし。(クリックすると大きくなります。)

 最高の景色が見られて有頂天だった頃。「おい」と声がした。声を上げたのはオレの隣で三脚を構えていたベテラン風のおじさんだ。「ツバクロを撮ってんだよ」撮影ポイントの中程にいた二人の若者に声を掛けているらしいが、若者は自分達に声を掛けられたとは思っていないらしい。「おい!」とおじさんは声を荒げ、シッシッをするように手を振った。ようやく若者は気付いたらしく、そそくさと移動した。出発の準備をしていたオレはこの光景をみて少し、嫌な気分になった。風景写真を撮る人達の中には何故だか随分偉そうな人が存在する。山登りをする人の中にもそういう人がいる。本格的に山岳写真を撮るのは大変だ。機材の重さはハンパではない。オレはデカい三脚を担いで山を登っている人を見ると、それだけで尊敬してしまう。しかし、写真も山も、所詮は道楽である。自分がしたいからしているだけで、誰のためになるわけでもない、自己満足の世界である。その撮影ポイントも別に誰のものでもない。ずっと燕岳を撮りたくてずっと粘っていたのに前に人が、というのなら怒るのも無理はないだろうが、今まで槍ヶ岳撮っていて、くるっと回って燕、すると人が邪魔。これだけ混雑していたら仕方ないことだと思う。どうしても三脚を動かせないのなら、少し若者に歩み寄って「すいませんが」と断りをいれるのが本当ではないだろうか。もしその燕岳の写真を写せたらみんなの税金が少し安くなる、というのなら少し偉そうにしても構わないと思うが。

04326509b
輝く雲海。

 7時半頃撮影を終えて、大天井岳へと向かった。“頃”と曖昧なのにはわけがあって、実はメモ代わりに使っているデジカメが故障してしまったのだ。電源を入れるとなぜか自動で最大望遠になってしまう。だからここから先、お得意の(?)自分撮りがほぼ、ない。まあ、なんにせよ、気持ちいい青空の下、表銀座の稜線を歩き始めたのである。大天井を目指す人は結構いた。早く行かないと小屋がいっぱいになるかも知れない、と考えつつも、景色に見とれて歩みは遅い。蛙岩まで1時間、大下りの頭までさらに1時間掛かった。

04326527b

05326827b
蛙岩。

05326819b
雄大な大天井岳と、これから歩く稜線。

05326815b
槍ヶ岳北鎌尾根。

 天気はいいが、吹きさらしの稜線なので風は強烈である。西側、高瀬川から吹き上げてくる風に常にさらされながら歩いているのである。しかし大下りを下った後、稜線の反対側、東側にまわった。風がなくなった。風がないので当然積雪が多く、運動量が増してすごく暑かった。再び風当たりの強い稜線の西側へ。コース唯一の鎖場である切通岩を下りると喜作レリーフ。ここは大天井岳直下、ここからはひたすら登りである。

05326813b
大天井岳と槍ヶ岳のツーショット。

R0033728091121
枯れたシャクナゲ?かな?

05326807b

043265eb
稜線上は強風。雪煙が舞う。

R0033729091121
喜作レリーフ。

 いやしかし情けない。いくら積雪時とはいえ、喜作レリーフから頂上まで1時間半も掛かってしまった。天気は悪くなっていたので、写真のせいにもできない。13時過ぎ、頂上に着いた時にはもう、へとへとだった。頂上では烈風が吹き荒れていた。囲炉裏のバンダナショットを撮ろうと試みるが、なかなかうまくいかない。まずカメラ。先ほど書いたように最大望遠なので、かなり離れた所に三脚をセットする。バンダナをピッケルにくくりつけ、準備しておいてから、シャッターを押し、ダッシュして標識の所でバンダナを広げ…パシャ。何度かやったが無理だ…指先はかじかみ、肩で荒い呼吸をしながら悟った。こんなことしてたら死んでしまう。

R0033732
R0033734
だいぶがんばったのだが…

 大天荘の冬季小屋に入り、一安心。誰かいると思われたが、オレ一人の貸し切りだった。天候は悪化してきているようで風の音がビュウビュウ聞こえる。しかし小屋の中は安心だ。さらにテントを張り、ダウンジャケット、ダウンパンツ、ダウンシューズと全身ダウンの「ダウンマン」に変身してホカホカである。まだ明るいので持ってきた本を読んだ。東野圭吾の「秘密」。なかなか面白い。いつもは100円の本しか買わないのに、この時のためにと350円も出した甲斐があったというものだ。16時半、陽が沈む頃、外に出てみたが天候は悪化の一方でガスが湧いて雪が降り始めていた。風はますます強くなっていて吹雪になっていた。夕食を食べる。とっておきの食料、チキンラーメン。飯を食ったら寝る。

R0033749091121
ダウンマン。

R0033742091121
おにぎりせんべい(昼飯)ウマイ…

R0033745091121
煙草もウマイ…

R0033753091121
チキンラーメン(夕食)やっぱウマイ…

 寝袋にもぐり込んでiPodで音楽を聴きながら本を読む。音楽はバッハ、ヴィヴァルディ、簡素なバロック音楽だ。時折「ゴウッ」という大きな風の音がメロディーを割って聞こえてくる。(明日は…嵐やな…)本を閉じ、音楽に集中する。しかし集中しきれない。外の風の音が気になる。(明日はなんとか燕山荘まで戻らないと)休みは明後日まで取ってあるので、仕事の方は最悪明後日出発でもいい。(しかし嫁さんと約束した)ムスコのお迎えに行けない。それは山に行くのに他人に迷惑を掛けない、という自分のルールに反することである。4日も家を空けているのでもう十分、嫁さんには迷惑が掛かっているのだが。いつしか眠っていた。3時頃尿意を催して目を覚ました。トイレに行って帰ってくるだけで全身凍え、雪まみれになった。凄まじい風。(陽が昇って…12時頃までになんとか…小康状態になってくれたら…)心臓がトクトク鳴っている。(行けるか?燕山荘まで)(道は分かりやすい、ただ、一箇所、稜線をまたぐ所…)(間違えたと思ったら、どれだけめんどくさくても引き返す…)(GPS)(対風姿勢)(カメラバッグはザックに…)いろんな思考が頭をよぎる。本のしおりに使っている紙を抜いて見つめた。それはムスコがオレのために描いてくれた“おまもり”だった。(お父さんは、必ず帰る。)寝た。

R0033750091121
東野圭吾「秘密」。挟まっているのはムスコの描いてくれた“おまもり”。

22

2009年12月 2日 (水)

燕岳・大天井岳 単独(2)09年11月21日〜24日

11月21日・1日目
 夜中の3時。中房温泉駐車場に着いたオレはすぐに外に出て見上げた。満天の星!
「よっしゃ!ええ天気や!ほな、登ろか!」(えっ?)
「さあ、準備準備!」(いや、寝えへんの?)
「準備完了!」(真っ暗やで?)
「はい!番号!!」(…いち?)
「よし!出発!!」
とまあ、バカな独り芝居をするほどオレのテンションは高かった。さらに快晴、満天の星が後押しし、きっとコーフンして眠れないに違いないから登ってしまえ、と考えたのである。もはやお馴染み(?)の夜間登山である。できれば日の出までに合戦沢ノ頭まで登りたい。という思惑もあった。というのも週間予報によるとこの先の天気はあまりよろしくない。この日の朝が最初で最後のチャンスかもしれないのだ。オレは鼻息荒く、真っ暗な登山道を歩いていった。

 燕岳には以前一度だけ登ったことがある。夏だった。この登山道は北アルプス3大急登などと呼ばれているが、道がうまく付けられているせいか、さほど急登を感じずに登ることができる。第一ベンチでアイゼンを付けた。第二ベンチを過ぎ、第三ベンチ。順調だ。出発して2時間も経っていない。日の出に間に合いそう…いつの間にか星が見えなくなっている。そういえばさっきからサラサラと…木に着いている雪が風で落ちてきているとばかり思っていたが…雪降っとるやんけ!出発時の快晴はどこへやら、木々に囲まれて気付かなかったが、いつしか天候は悪化していて雪が降っていた。(さすがオレは雨男)急激にヤル気を失い、タバコを吸い、歩く速度はガックリ落ちた。

R0033668091121
おぼろ月ならぬおぼろ太陽。

 富士見ベンチで霞に浮かぶ日の出を見、合戦小屋に着いたのは7時12分。小屋に入れたので30分休憩した。見晴らしの良い合戦沢ノ頭まで登ったが、当然真っ白。合戦尾根に出ると風が強い。面白くもない真っ白な景色の中を登っていき、燕山荘に着いたのは9時16分だった。

R0033669091121
合戦小屋。

R0033680091121
ハナミズ、デテマスネ。

 燕山荘はこの時期でも営業している。非常に心強い。中に入り、少し休憩させて下さい、と頼んだ。小屋の方は何もかもお見通し、といったような笑顔で頷いて下さった。20分後、出発!(え!?どこ行くねん?)大天井岳!(吹雪やで?)これぐらいの風がなんぼのもんじゃ!明日から天気はもっと悪くなるんや、小屋で足止めなんてマッピラや!意を決して外に出た。「っしゃぁ!行くぞ!」

R0033686091121
燕山荘到着。

 天気は最悪ではない。たまにガスが切れると太陽が見える。しかし稜線の風はハンパではない。山に来る前に耐寒訓練とかやってたけど、屁の役にも立っていないような気がする。せいぜい鼻クソくらいか。半時間ほど進んだ。ガスの向こうにうっすらと蛙岩が見える。ダメだ…今のオレの体力ではとても大天井岳までは行けまい…オレは烈風に叩きのめされながら来た道を戻り、再び燕山荘に入った。相変わらず何もかもお見通し風の方に「すいません、受付、お願いします」と小声で言った。「お泊まりですか?」「…はい」(え?テントちゃうの?)「食事は?」「えと、夕食を…」(え?小屋でメシ食うの?)じゃかましいわ!オレはもう一人のオレを抑えた。テントを持ってきながら布団で寝ることに何故だか少々後ろめたさを感じながらも、寝床に案内されるやブッ倒れ、泥のように眠り込んでしまった。

R0033694091121
烈風に叩かれて燕山荘まで戻ってきた。マツゲ、コオッテマスネ。

 14時半頃、目を覚ました。ガラガラだった小屋にけっこう、人が入っている。三連休だからかお客さんは多いようだ。タバコを吸いに外に出た。雪は降っておらず、だいぶ明るくなっていた。ガスは相変わらずだが、そばにいる登山客が、さっきヤリ、見えたのにねぇ、とか言っているので天候は良くなってきているようだ。まだ時間もあるし、燕岳に登ろうか。予想以上に体は疲れていた。引きずるようにのろのろと歩いた。イルカ岩、メガネ岩。懐かしい。頂上に着いたのは16時32分。すでに誰もいない。西の空は晴れてきて槍ヶ岳も少しだけ、姿を見せた。(晴れそうだ…)明日は大天井岳、行けるかも。

01326712b_2
大天井岳。

01326723b_2

R0033703091121
燕岳でバンダナショット。

01326726b_2
燕岳。

01326725b_2
奇岩と漏光。

 小屋に戻り、夕食。豚の角煮、魚のグラタン、具沢山のお汁、他諸々。豪勢だ。食事の後、アルペンホルンの演奏も聞けた。さすがにナンバーワンの呼び声高い燕山荘である。タバコを吸いに外に出るとすっかり晴れていて星が出ていた。昼間に結構寝たから大丈夫やな、今夜は思うさま星を見よう。

R0033715091121
燕山荘での夕食。激ウマ。

R0033718091121
アルペンホルン。ちょっと吹いてみたかった。

 小屋の中はいつの間にか満員だった。隣のオッサンは既に寝ていた。オレは寝床でとっておきのISO400のフィルムをカメラに装填し、三脚を持って外に出た。20時過ぎ、月は既に落ちている。ため息が出る程の、満天の星。北側、燕岳を入れてシャッターを押した。小屋に泊まっている殆どの人が恐らく撮影目的らしいのだが、星の撮影をしているのはどうやらオレだけのよう。時折星を眺めに外に出てくる人はいたが。

 さ、寒いのぅ…いくら星がキレイだといってもずっと外に居られるものではない。シャッターを押している間、小屋に入って体を温めた。うまい具合に「岳」の10巻があったので、それを読んでいた。眠ってしまうのが惜しい程の星空だったが、1時か2時頃、寝た。

023263iso40008b_2
燕岳と星空。クリックすると大きくなります。

22

2009年12月 1日 (火)

燕岳・大天井岳 単独(1)09年11月21日〜24日

 11月21日。夜中の3時。中房温泉駐車場に着いたオレはすぐに外に出て見上げた。満天の星!
「よっしゃ!ええ天気や!ほな、登ろか!」
(えっ?)
「さあ、準備準備!」
(いや、寝えへんの?)
「準備完了!」
(真っ暗やで?)
「はい!番号!!」
(…いち?)
「よし!出発!!」
とまあ、バカな独り芝居をするほどオレのテンションは高かった。
 話は2日前に遡る。出発前日の11月19日。私は天気予報と食い入るように見ていた。

 やっぱりダメだぁ〜!天気予報は一週間前から見ていたが、週間予報は日替わりで変わる。直前予報は一番悪くなっていた。山の天気も見てみるが大荒れ、とのこと。長野県中部の予報はややマシである。第二作戦にするか。随分悩んだが、第二作戦、燕岳、決めた!もう迷わない!装備を少し変更し、すぐさま寝た。

 実は後立山連峰、八方尾根から唐松岳に登りたかった。念願である。今回こそ、の想いがあった。3年前、06年の9月に縦走した。好天続き。大いに魅せられた。(参照)雪を纏ったその姿を見てみたいと思い、去年、11月、1月、2月に計画したが悪天予報のため変更。それぞれ仙丈ヶ岳(参照)、石鎚山(参照)、弥山川遡行(参照)に変わった。ちなみに9月にもゲキさんと唐松岳の計画をしたが、これも中止。どうもイカン。そして今回も…

 10月に越路さんと立山へ行った後から今回の山行の計画は始まっていた。まず装備表を作成、今回は撮影に重点を置くので機材が多めである。ザック10.9kg、ウエストバッグ2.6kgとなる。装備の確認。近所に山道具の店がないので直前に買わないといけないものが出てくると大変なのである。スパッツがダメになっていたので新調した。GPSにポイントを入力し、地図とガイドのコピーを通勤電車の中で眺める。なるべく薄着を心がけ、身体を寒さに慣らしておく。小食を心がけ、空腹に慣れておく。ただし冬季は脂肪も要るのであまりやりすぎない。登山時体重61kgを目標。11月10日と15日にボッカ訓練。

 1週間前位から慌ただしくなる。気分もなんとなく浮ついてくる。
 16日、装備を用途別にビニール袋に入れてパッキング。ザックカバーを使わないので荷物は全部、ビニール袋に入れる。ビニール袋も穴が空いていないかを点検する。
 17日、装備再点検。全部出してもう一度確認する。コンロ、ライター、ヘッドライトなど。指差し呼称をした後、もう一度パッキング。袋を見れば何が入っているか分かる。
 18日、食事を多めに摂る。脂分と鉄分は意識して摂る。体重60kg。少し増やす。
 19日、今日も食事多め。体重61kg。予定通り。燕岳に予定変更、有人小屋があるので食料を減らす。天気もあまりよくなさそうなのでレンズ1本、フィルムも減らす。ザックは9kgになった。早く寝る。
 20日、ムスコを迎えに行って家で待機、21時20分、妻が帰宅。ようし!出発だ!

R0033660091121
中房温泉駐車場にて

つづく

22

« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »