« 南八ヶ岳縦走・冬 単独 | トップページ | 道場百丈岩〜大人のノジュカーズ »

2009年10月24日 (土)

蝶ヶ岳・冬 単独

2008年2月9日〜12日
 ぶるる。思い出すだけで身の毛がよだつ。凄まじくハードな四日間(五日?)だった。蝶ヶ岳、2677m。険しい北アルプスにあって、なだらかな山容、どうもお隣の百名山(!)常念ヶ岳の付録のような扱いを受けている山である。しかし、展望は逸品、穂高連峰を間近に見られるのである。その展望を是非見てみたい。雪がどっさり積もった穂高兄さん達を見てみたい、と思ったのである。それと北アルプスに、厳冬期の二月に登ってみる、というのも冒険心とチャレンジ精神をくすぐられる。これは是非!…と、いうわけではなかったのだ、実は。

 昨年の二月は南八ヶ岳、赤岳〜横岳〜硫黄岳を縦走をした。今年は上高地散策くらいにして、天気が良ければ徳本峠に登って穂高兄さん達に挨拶するか、と思っていた。しかし、穂高の写真集を見て蝶ヶ岳からの景色が強く印象に残った。是非見てみたい、写真を撮りたいと強く想うようになってきた。蝶ヶ岳の山頂から西を望むと、上高地を挟んで穂高岳が間近に聳えている。左、つまり南より前穂高岳、奥穂高岳、涸沢岳、北穂高岳。穂高四兄弟。穂高四天王。俺が勝手にそう呼んでいるだけであるが。(ちなみに西穂高岳は離れている上にロープウェイがついてしまっているので含まれていない。)そして長い縦走路をたどって槍ヶ岳。これは是非見に行かねば。

R00121451120_2
蝶ヶ岳山頂にて

 二月に入り、装備を調えていく。テンションが上がってくるはずだが、なぜか余りやる気がおこらない。蝶ヶ岳が、展望は最高なのだが山としての魅力に欠けているせいなのかもしれない。だいたいの準備が整いザックを背負ってみる。ぐ…重い…さすがはテント泊、今までに経験したことのない重さだ。体重計に乗ってみると90kgと見たことの無い数字が出た。自分の体重が60kg少々だから30kg弱、カメラのウエストバッグを入れると30kg少しか。ゲッソリしてまた少しやる気が萎えた。そして天気予報もよろしくない。曇りか雪ばかり。そもそも二月とは真冬のまっただ中で、ほとんどの日が西高東低の冬の気圧配置である。北アルプスが晴れる時はその気圧配置が弱まる時か、たまに日本列島を通過する移動性高気圧に覆われた時だけなのである。見込みは非常に薄い。出発三日前、やはり北アルプスの天気予報は芳しくない。西高東低の気圧配置で天気の良いのは南アルプスや中央アルプス、八ヶ岳である。北アルプスはダメだ、不安要素が多すぎる…予定を変更するか…直前になっての予定変更は危険であるが、中央アルプス、木曽駒ヶ岳なら何度か行っているしロープウェイもある。ホテルまである。ホテルには泊まらないまでも、稜線まで登ってそこでテントを張って写真を撮るか。急遽中央アルプスの地図を見る。通勤電車の中でも地図を見ていたが、何か引っかかってのめり込めない…

 出発二日前。準備は昨日までに終わっているので、この日は寝溜めをしておかなければならない。ネットで天気予報のチェックだけする。概要を見てビックリ、移動性の高気圧が通過する模様…とある。何?長野県北部を見てみると登山三日目(11日)が晴れになっており、降水確率は10%、その翌日も悪くない。長野中部はほとんど晴れである。どうしよう?4日間のうちたぶん1日だけは晴れる蝶ヶ岳、3日間くらい晴れる木曽駒ヶ岳。しかし気持ちは既に北アルプスであった。駒ヶ岳もいい、良い写真も撮れるであろう、しかし、そこから穂高や槍が見えた時、俺はきっと後悔するだろう。そんなわけで出発直前でまたも予定変更、北アルプス蝶ヶ岳に戻した。初日(9日)と二日目(10日)は天気が悪い、しかし、何とかこの二日で蝶ヶ岳頂上までたどり着き、三日目(11日)晴れるのを祈る、という作戦である。

 8日夜9時過ぎに岸和田を発。しかしなんたることか、カメラの入ったウエストバッグを忘れて来てしまったのだった。大津で気付いて岸和田に戻り再出発が9日0時。むう、貴重な仮眠の時間が無くなってしまった。6時に沢渡でタクシーを予約してある。その予約時間丁度に沢渡着、運ちゃんを待たせたまま準備して、釜トンネルの入り口に着いたのが6時過ぎ。さて、いよいよこれから長い四日間の山旅の始まりである。厳冬の北アルプスということで不安もあるが、もうすぐ上高地の雪景色が見られると思うと期待の方がやや上回っていた。長い釜トンネルを歩く。背中の荷物がずっしりと重い。トンネルを抜けると…そこは雪国だった。もろパクりの表現が、当にぴったりだった。予想に反して天気も良く、空がほんのりピンクに朝焼けしている。「おお…」。期待度が増し、冷気も手伝って眠気が吹き飛ぶ。「急がねば。大正池まで。」こうなれば重い荷物もなんのその、ほどなく大正池が見えた。と同時に穂高連峰も…丁度、山頂部に朝陽が当たっていた。「なんという…神々しさ…」一瞬、息を呑み、続いてかじかんだ手をもどかしく感じながら撮影準備を始めた。止まると寒い。猛烈な寒さである。三脚に触れると手袋をしていてもピタッとくっついてしまう。おまけに三脚の脚が出てこない。靴裏に叩き付けると薄い氷が剥がれて落ちてなんとか脚が出せた。撮影を終え、落ち着きを取り戻してようやく、穂高兄さん達に挨拶をした。「ご無沙汰してました。今から、お隣のお蝶婦人に登らせてもらいます。できれば二日後、晴れてそのご尊顔を改めて拝めれば幸い…」ちなみに「お蝶婦人」は言うまでもなく俺が付けた蝶ヶ岳のニックネーム、槍穂高が険峻で男性的なのに対してなだらかな山容が女性的だから。

01263306_3
大正池より穂高連峰を望む

 大正池を後にして次は田代池に向かう。この田代池は霧氷が素晴らしく、冬の上高地での風景写真の定番になっている。8時到着、しかし着いた頃には曇ってしまっていた。ここに日が差すのは9時頃、その頃に少しでも晴れないかと期待したが、太陽が出そうで出ない。一時間程粘ったが、結局太陽は出てくれず、9時に田代池を後にした。ここからは新装備のワカンを装着する。天気は下り坂、10時過ぎ河童橋に着いた時には雪が舞い、穂高連峰もガスで見えなくなっていた。天気が悪くなったのは残念だが、元々天気予報では余り良くなかったし、早朝に穂高が望めただけでも良しである。それにあまりいい景色を見せられると撮影に時間を取られすぎてなかなか進めなくなってしまう。

02263825
梓川にて

 明神を過ぎ、徳沢に着いたのは13時半。徳沢の徳澤園は唯一の有人小屋である。泊まるのには予約が必要なのだが、俺は内心、ここに泊まりたい、と思い始めていた。明日はきつい登りが待っている上に、昨日から一睡もしていないのだから甘えた気持ちになるのも当然か。小屋の前にいた人に「今晩泊まれますか?」と尋ねると「いっぱいだからダメですね」とキッパリ断られた。仕方ない。徳沢でテントを張ろうかと思ったが、まだ元気の残っているうちに少しでも登っておこうと考え、長塀尾根を登り始めた。

 山の登り初めはだいたい急登なのだが、例に漏れずやはり急登。地図にも「樹林帯の急登」としっかり書いてある。おそらく階段が取り付けられているのだろうがもちろん雪の下、はっきりとしたトレースがあるのが救いだが、それにしてもすごい登りですぐに息が上がる。こんな坂ではとてもテントが設置できない、張れそうな所を見つけたら多少傾いても張っちまおう、と考えた。
 100m程登った所でシャクナゲが雪から顔を出している所があり、なんとか張れそうなので、そこに決めた。テントを張り、マットを敷き、荷物を整理してようやくくつろぐ。コーヒーとタバコがうまい。雪山でのテント泊は大昔、山に登り始めた頃に高見山でして以来である。あの時は小屋の中だったが一睡もできずにサクライと震えていた。隣で頭髪を凍らせながらも熟睡しているユンオが羨ましかった。今回は更に標高も高い上、気温も低い。果たして眠れるのか…?しかし、何はさておき食事である。睡眠もさることながら、食事も前夜から摂っていない。ちょこちょことお菓子を食べただけである。今回持ってきた主食料はサッポロ一番みそラーメンとレトルトカレー、ボイル式の白米、キムチである。要はカレーとラーメンだけである。栄養やバランスなどいろいろ考えても食欲がわかずに食べられなければ意味がない。みそラーメンとカレーは好物で、お手軽で、それなりに軽い。お湯で温める白米は少々重いが、アルファ米は失敗率が高い。以前後立山縦走をした時、食えない上、荷物が重くなってしまったことを考え、確実に美味しく食べられるボイル式を選んだ。初日の昼食兼夕食はカレーライスとキムチ。「カレー負けなし」の格言(?)通りおいしくいただけた。そして睡魔がやってきた。寒かろうがなんだろうが、貫徹で長距離運転と結構な運動をして、温かいものを食べれば眠くなる。寝袋に入り6時就寝。目が覚め、時計を見る。9時。ガッカリである。3時間しか眠れなかった。猛烈に寒い。今回寝袋の中にアルミ箔の筒袋を入れてある。温かいが通気性がゼロなので汗や吐いた息の水蒸気が水になって溜まってしまう。当然凍る。息の当たる所はバリバリになっている。コンロに火を点ける。テントは狭いので暖まるのは早い。樹林帯なので風がないのが幸い。小用で外に出てみると木の間から星が見えていた。晴れているのか?天気予報では翌日は曇りのはずだが。寝袋に入ってもすぐに眠れるはずもないので本を読む。服部文祥の「サバイバル登山」。ハードカバーで重いが持ってきて良かった。この本にはこの後もだいぶ世話になる。山での暇つぶしはiPodで音楽を聴くことが多いが、いつもそのまま眠ってしまい、バッテリーが切れてしまう。大抵一泊なので問題はないが今回は三泊あるので持ってこなかった。また眠くなり、眠り、寒さで目を覚ます。また本を読み、また眠る。

 翌10日。ケータイのアラームが鳴っている。眠い。昨晩は寝たり起きたりを繰り返したので、まだまだ寝足りない。もうちょっと…外で足音が聞こえてきた。登山者が登っている。目を開けると明るい。「こんなところにテント張っているヤツがおるぞ」声が聞こえる。その足音が遠ざかり、しばらくしてからテントのジッパーを開いた。寒い。しかしいい天気だ。外気に当たって初めて気付いたがテント内は随分暖かかったようだ。それで気持ちよくてつい、寝坊してしまった。6時に起きてまだ誰も登ってこないうちに出発と考えていたが、起きたのは8時。テントの撤収と出発準備に手間取り、出発は9時20分だった。準備をしている間にも5人程のパーティーが通り過ぎていった。徳沢の標高が1562m、蝶ヶ岳が2677m、標高差は1100m少し、昨日のうちに100m程登っているからその差は丁度1000m程。ここから1000mの登りが始まるのだ。何としてでも今日中に蝶ヶ岳ヒュッテに着き、明日の朝、朝陽を浴びる穂高連峰を見てやるのだ。やってやる。天気は良好、トレースもくっきりあって絶好のコンディションである。急登を登り始める。凄まじい登りだ。ワカンをしていてもたまに股まで雪にもぐる。少し歩いては木により掛かって喘ぐ。最初からバテていた。寝不足で疲れがとれていない。しかし、それでも最初のうちは100m稼ぐのに30分以内をキープできていた。休憩を入れても5時間程で登れる、そんな皮算用をしていた。100m登る毎に登頂予定時間を計算したりしていたが、途中から35分、40分と遅れ始めた。そしてその内なんだかよくわからなくなり、ついでに現在位置もよく分からなくなった。高度計の高度がどうもおかしい気がする。登り始めた頃に比べると傾斜はゆるやかになっていたが、体力が尽きかけていた。辛い…もう、何も考えずにただ歩くだけ、という状態になっていた。トレースがはっきりしているのが幸いである。こんな状態でルートファインディングが必要なら、とっくに音を上げていただろう。

R0012092920_2
長塀尾根にて

 正午を過ぎたが今日も昨日に続き朝食昼食を摂らずにお菓子だけで頑張っていた。あまり食欲がないということもあるが、長い休憩を取った後の辛さがいやだった。それに時間もない…焦り始めていた。先に登っていった5人程のパーティーとすれ違った。蝶ヶ岳まで登頂できずに途中で引き返してきたとのこと。しばらくすると木が低くなって展望が開けている所に出た。「おお、槍ヶ岳」穂高も間近に見える。テンションが上がる。全然使わなかったカメラを出して数枚、写真を撮った。さっきすれ違ったパーティーの休憩した跡があった。ここが長塀山か…?もしそうなら標高2565m、あと標高差100m程、2時間もあれば頂上に着くことができる。しかし、高度計の標高はまだ100m程足りない。2、30mならともかく100mも誤差が出るだろうか?しかしこの後、初めて下り坂が現れた。間違いない、さっきのが長塀山ピークだ。だいぶ下ってまた登り。それが5回あった。もう随分前から歩くだけのマシーンと化していたが、その歩みは非常にのろく、よく止まる。本当に、何度も立ち止まって喘いだ。槍ヶ岳を見て上がったテンションもすぐに下がった。3時頃か、朝の皮算用の登頂予定時間である。陽がだいぶ傾いてきた。さっきのが長塀山ならそろそろ妖精ノ池があるはずだが…当然雪に埋もれているだろうが、木が生えていないから分かりそうなものだ。4時になった。まだ樹林帯である。いくら歩くのが遅いとはいえ、もう森林限界を超えそうなものだが。そもそも、あそこが本当に長塀山だったのだろうか?もう一時間少しで暗くなる。登頂できるか自信がなくなってきた。明るいうちにテントを張った方が良いのでは…?という考えも湧いてくる。5時過ぎ、突如視界が開けた。ようやく、樹林帯を抜けた。強風が吹き付ける。辺りはすっかり夕焼けである。アイゼンに代えた方が良いのでは?とチラっと思ったが時間が惜しい。ピッケルを握って進む。目の前に再び穂高・槍連峰が姿を現した。絶景である。日はもう沈む寸前である。カメラを取り出す。これ程疲れているのに写真を撮ろうとしている自分に感心する。グリップに巻いているバッテリー保温用の貼るカイロは冷たくなってカチカチなっていた。シャッターを押す。「ういん…」フィルムを巻く音がやけに鈍い。そういえばオートフォーカスも鈍いか?電池を替えてまだフィルム2本しか撮っていないので電池切れではない。寒さのためか…?ちゃんと動いてくれよ、と願いながら数枚写真を撮った。それにしても寒い。もう写真どころではない。一刻も早く小屋に入って体を温めなければ。向こうに見えている蝶ヶ岳ヒュッテに向かった。

03265633_2
穂高連峰に沈む夕陽

 小屋に入ると先客がいた。若い男女である。「こんにちは」と声を掛けてくれたので俺も挨拶をしたいが、あいにく声が出ない。曖昧に会釈し、すぐにジェットボイルで湯を沸かす。熱いコーヒーを一口啜ってようやく人心地がついた。改めて先客に「こんにちは」と挨拶した。随分遅れて返事をしたのでビックリさせたかも知れない。「タバコを吸っても良いですか?」と断ってから一服入れる。朝吸って以来、久々のタバコだ。これは、うまい。頭が痺れ、ブッ倒れそうな程のうまさである。本格的に人心地がついて若者二人とも少し話をした。蝶ヶ岳ヒュッテの冬季小屋はそれ程広いわけではなく、お正月には、入りきれずあぶれて外でテント、ということもあるそうだが、今晩はもう人が来ることはないだろう。俺はテントを張った。荷物の整理をしてテントの中に入ると、やはり落ち着く。早速メシ。昨晩からロクなものを食べていない。今日の昼飯兼夕食はみそラーメンとご飯、キムチ。ぐうぅ…うまい。舌が痺れ、頭がまたもぼうっとする。体が火照ってきて腹がギュウギュウ鳴り出した。食欲はなくとも胃が栄養を吸収したがっているようだ。食後、小屋の外に出てみた。満天の星。それに安曇野の夜景が綺麗だ。うっすら見える穂高連峰がまたかっこいい。写真撮ろうかな、と思ったが、あまり小屋を出入りするのは迷惑だろうし、なによりも寒いので止めておいた。気圧をチェック、高度計も見ておく。だいたい合っている。とすると登ってきた時に長塀山だと思ったのはそうではなく、まだ先だったようだ。本を少し読んで就寝。明日も晴れてくれよ。

 翌11日、5時起床。昨晩も何度か目を覚ましてしまったが、それでも前日斜面にテントを張って寝た時よりはよく眠れた。若者二人は既に起きており、下山準備をしている。テントを出て挨拶をする。小屋の外に出てみた。晴れている。「よしっ!」二日間の苦行が報われそう、撮影機材を取りに小屋に戻った。カメラのバッテリー部に使い捨てカイロを貼り付ける。日の出前、屋外はさすがに身を刺す冷たさではあるが、俺はそれを忘れてしまう程興奮していた。

04265702_7
夜明け前

 蝶ヶ岳の山頂に登った。ピークを制した感慨は別にない。それよりなにより、聞きしに勝る大絶景である。なんといっても、まず目に飛び込むのが西側、万々の雪をいただいたド迫力の穂高連峰。明神岳に焼岳。乗鞍岳、御嶽山。大キレット、南岳、中岳、大喰岳を経て槍ヶ岳。南に遠く中央アルプス、南アルプス、富士山、東に八ヶ岳。北は縦走路を経て常念岳が凛々しい。それらの山々はまだ静かに眠っているが、もうすぐだ。半時間後の日の出が待ち遠しかった。待ち遠しいが、日の出前のこの静寂は大好きである。撮影準備をしながら、喜びをかみしめる。来て良かった…よくぞここまで…がんばったぞ、オレ…山で何か、大きな存在を感じるのはこんな時である。「よく、来たな」穂高の山達に声を掛けてもらったような気がし、はっとして顔を上げる。まあ、過労と寒さで頭がどうにかなったかな、とも思えるが。別に何でも良いのである。俺は見てみたいモノがあって、苦労して登ってきた。そしてもうすぐソレが見られる。ものすごい幸せだ。それだけだ。東の空が紅く染まっている。少しきつい赤色だ。一寸ずつ、辺りの山々が色づいてくる。空が明るくなってきた。穂高連峰に陽が差した。山が淡いピンク色に染まる。「う、おぉ…」カメラのファインダーを覗く暇さえもったいない光景だ。前穂高、奥穂高、涸沢岳、北穂高。穂高四兄弟。穂高四天王。岩と雪の殿堂。この壮大な景観をフィルムと己の目に焼き付ける。赤味が増す。それが最高潮に達した時、俺の興奮も最高潮に達していた。

052640038bit_2
朝陽を浴びる前穂高岳と奥穂高岳・蝶ヶ岳山頂にて

 「すいません」え?振り返る。「シャッター、押してもらえませんか」。小屋で一緒だった、若い二人であった。これから上高地までの長い行程を下りて行こうとする二人は気力に溢れ、朝陽を浴びてすごくカッコ良かった。しかし、あと10分、いや、5分待って欲しかったな…「いいですよ」俺は笑みを浮かべながらカメラを受け取った。バックに穂高、槍と二枚写す。すごくカッコイイ…俺もデジカメを出して写してもらった。「気をつけて」俺は手を振りながら声を掛けた。しばらくの間に穂高はピンク色から黄金色に変わっていた。興奮も少し冷めて、辺りを見回す。周り全てが好被写体ばかりだ。だいぶ明るくなったのでカメラを三脚から外し、手持ちで他の山や雪の模様を写し取っていく。楽しい。撮りまくった。

06264012
槍ヶ岳

07264020_2
常念岳

 9時に一旦小屋に戻った。使用フィルム3時間で6本。昨日まで二日で3本、それまでの鬱憤を晴らすかのような撮りっぷりだ。カイロが効いているようでカメラの動きもいい。

08264025_2
雪紋・蝶ヶ岳にて

 さて。小屋で朝食兼昼食のキムチみそラーメンを食べた後、これからのことを考える。下山を今日にするか明日にするか。今日のうちに上高地まで下山しておけば明日の行程はぐっと楽になる。いい天気ならのんびり上高地を写真を撮り歩くのも悪くない。しかし…。もし明朝に下山となると、かなりの強行軍になる。徳沢まで4時間、中ノ湯まで5時間で9時間、8時に出発して夕方の5時。最終バスが5時50分、風呂とメシ、6時間の長時間運転、帰宅は深夜1時か…それでも心中は決まっていた。下山は明朝、8時タイムリミット。この神々の棲む地にもっと居たい、というのが本音だった。

09264033
こういう模様はどうなったらできるのだろう?

 そうと決まれば今日一日、ゆっくり養生。来る前には常念岳まで往復してみよう、なんて考えてもいたが、さすがに疲れが溜まりすぎている。明日のためにも体力温存。

10264634_2

 昼、また外へ。相変わらずの良い天気。少し雲が出始めていたが、その雲が風景にアクセントを加える。頂上付近をあちこち歩き回る。ふと、独りであることを想った。あの二人ももういない。ああ、独りなんだ…こんなすごい景色を、独り占め…知っている人全員に見てもらいたい、そう思うと少し泣けた。散々撮りまくってまた小屋に戻る。フィルム5本。

12265517
穂高連峰の上を鳥形の雲が行く。「不死鳥雲」と名付けた。

 小屋に入る前、蝶ヶ岳の頂上に3人程のパーティーが見えた。お、登ってきたのか。小屋に来るだろうと思って散らかしてあった装備を整理し、小屋内を掃除した。しかし、そのパーティーは結局小屋に来ることはなかった。夕方、念のためカメラの電池を新品に替え、三度外へ。雲が多くなって、風も強くなっていた。

13263930_2
夕刻になって風はますます強くなった

 日が傾くにつれ、景色の精彩も増してくる。しかし、それにしても穂高と常念山脈に挟まれた深い谷から吹き出てくる風は尋常ではない。まともに目を開けられないし、指先はすぐにかじかんでしまった。寒いし、冷たいし、痛い。しかしその烈風が凄まじい光景を見せてくれた。

14263935

 風は雪を舞わせ、それが夕陽に照らされる。背景は逆光のために暗く落ち込んだ、峨々たる穂高。なんとも圧巻。下山しなくて良かった。シャッターを押しまくる。いや、押しまくりたいがカメラ操作がなかなか思い通りにいかない。かじかんだ指がもどかしい。指先の感覚は既に無い。さすがにこの状況ではフィルム交換できないので、その時はいちいち戻って、小屋の陰で風を防いだ。3本撮って撮影終了。

16265806a48bit_2
吹き飛ばされた雪が夕陽に照らされる

 夜が訪れた。夕食はカレー。明朝すぐに出発できるように荷物を整えておく。食料が余っているのでカレーと白米、みそラーメンを小屋に残しておく。風は相変わらず強い。昨晩とは比べものにならない。強風で入り口の鉄の扉がガタンガタンとやかましい。明日は晴れるのか?昨日今日と好天だったのでそろそろくずれる頃かも知れない。さあ、明日は強行軍だ、早く寝よう。穂高、もういっぺん見たいなあ…

18263510
穂高の夜景

 12日、最終日。4時起床予定だったが30分寝坊。昨晩は二度、寒さで目を覚ました。眠いが撤収準備にかかる。寝袋、テントとも水分を含んで袋に収めるのに一苦労。二時間かけてようやく準備完了。6時半、外に出る。真っ白、猛吹雪。写真どころではない。すぐさま小屋に戻ってコーヒーを沸かす。景色が見られないのは残念だが、出発が早くなったことで良しとするか。6時55分、吹雪の中を出発。少し歩いてもう一度蝶ヶ岳のピークに立つ。凄まじい風。稜線上は強風だが、樹林帯に入ってしまえば風は収まる。トレース通り下っていけば4時間で徳沢だ。30分歩いて樹林帯に入った。風が弱まり、一安心。ピッケルを直し、アイゼンからワカンに履き替える。しかし樹林帯を進むうち、楽はできないことに気付いた。あれほど明瞭だったトレースが消えているのである。一晩の雪で、まるで滑り台のようだったトレースが消えてしまうのか…恐るべし…ところどころにある目印、地図とコンパスを頼りに進む。ワカンを着けていても足が埋まる。時折腰や胸まではまることもあった。荷物が重いので這い出るのに苦労する。9時20分、長塀山山頂に着いた。登る時は分からなかったが、木に丸印が三つ書かれてある、まず間違いないだろう。ちなみに地図のコースタイムでは蝶ヶ岳からここまで40分。俺は2時間半かかっている。これから先のことを考えると気が萎えてくる。長塀尾根の下山は苦戦を強いられた。途中、道が分からなくなることもしばしば。その度に不安に駆られる。雪は止まず、ずっと静かに降り続けていた。見上げて雪の落ちてくるのを見ているとなんだか吸い込まれそうな錯覚に囚われる。「ああ、きれいだ…」雪を見ていて思う。しかしこの細かい結晶こそが俺を苦しめているのである。「白い悪魔…」ふと、そんな言葉が浮かんだ。傾斜が急になってきている。尾根の終わりが近い。また腰まではまった。右足を強引に引き抜いた時、ワカンのバンドが外れてしまった。直そうかと思ったが、手がかじかんでとてもできそうもない。そのまま進むことにした。急傾斜を利用して尻セードを試みるが、でかいザックとワカンが邪魔でうまくできない。二日前テントを張った所に出た。二日しか経っていないのに何だか懐かしい。そこから徳沢はすぐだった。もがき、喘ぎ、さんざん苦労した蝶ヶ岳。しかしもうおしまいだ。ありがとう、お蝶婦人、また来ます。
 13時05分徳沢着。蝶ヶ岳山頂から6時間10分もかかってしまったが、ここからはもう迷うことがないと思うと安堵感でいっぱいだった。さあ、ここからは楽勝、と思ったのは大甘、積もった雪にまたも苦戦を強いられる。ツボ足でなかなか進まない。樹林帯を抜けたので風が強い。周りの風景はどこを撮っても結構、絵になりそうだ。「厳しい冬」てなタイトルを付けて…しかし勿論、カメラを出す元気はない。ああ、もうフラフラだ、大声を出して活を入れる。すると返事があった。もう一度声を上げる。「キー」と弱い声が聞こえる。声の主はサルだった。枝の上でじっと吹雪に耐えているようだ。よく見てみるとサルは結構いた。この時はカメラを出して何枚か写真を撮った。

19263525
明神付近にて

 15時50分、ようやく明神に着いた。なんてこった、1時間の予定が3時間近くかかっている。もう夕闇が迫っている。しかし積もった雪に足を取られながら歩くので遅々として進まない。疲労も相当溜まっている。雪は相変わらず降り積もる。「白い悪魔…これほど苦しめられようとは…」歩きながら風呂に入ることを思う。さぞや気持ちいいだろう。失神するかもしれんな。それからメシ。今日もお菓子しか食べてない。本当は大休止してラーメンをこしらえる予定だったのだが。下りたら温かいものを食べよう。肉が食べたい。脂の多いやつ。やきにく。スキヤキ。トンカツ。…そんなことを考えながら歩く。そのうち、思考が麻痺してきて訳のわからんことになっていたりする。「ぺんぎん・かいそく…」いつの間にか「ぺんぎん・かいそく」と頭の内でつぶやきながら歩いていることに気付く。左足が「ぺんぎん」で右足が「かいそく」だ。しかし、この掛け声(?)がなんだか調子良いので続けているといつの間にか「ぺんぎん」が「ぺりかん」に、「かいそく」が「きゅうこう」になっていた。しかし、だからといってどうということはない。17時35分、河童橋に着いた。やっと、河童橋。このすぐ先がバスターミナルで、車道になっている。除雪され、歩きやすい。暗くなったのでヘッドランプを付ける。しかし除雪されているのは帝国ホテル前までで、その先はまたもや雪に足を取られることとなる。車道のくせにかなり狭く、真っ暗なので、かなり心細かった。
 大正池到着19時08分。嫁さんに無事のメールする。それからタクシーに電話を入れた。来る時に大正池から電話しなさい、と言われていたのだ。しかし、無情にもなんだかんだ言われて断られてしまった。察するに、きっと俺のことなんか忘れていたに違いない。行くか…行くしかない。歩いて進まないと帰れない。足が重い。まだまだこの苦行が続くと思うとへたりこんでしまいたくなるほど気持ちが沈んでいた。風呂はナシやな…まあ、失神せんで済むか…ようやく釜トンネルに入った。ライトが点いていて明るい。ワカンとスパッツを外し、ザックにくくりつける。手袋は大分前から濡れていて、指先が氷のように冷たい。感覚はとうに失せていた。もう一度、嫁さんにメールを送り直したかったがこの指で携帯電話を操作するのが煩わしく、止めた。20時43分、釜トンネルを抜ける。中ノ湯着。神の棲む場所から人の住む所に出た。大抵こういう場合、寂しいような、また、何か成し遂げた達成感やらの感情が溢れてくるものだが、この時は嬉しさも寂しさもなかった。本来ならここからタクシーなのだが、徒歩である。車の停めてある沢渡まで約10km。感慨に耽る余裕はない。もう、本当にフラフラなのである。足はもとより、食料の分いくらか軽くなったとはいえ20kgはあるザックを担ぎ続けている肩、重いカメラ機材の入ったウエストバッグを支えている腰、そして全身冷え切っている。メシも食っていない。車が通りすぎる度、一応、親指を立ててヒッチハイクを要求するが、停まってくれるものではない。しかし、世の中そう捨てたものではない。一時間程歩いた所で一台のトラックが停まってくれた。地獄に仏である。
 22時、沢渡に着いた。アトレー号と久しぶりの対面、雪ダルマのようになっていた。車にザックを降ろし、合羽を脱ぐ。重い登山靴も履き替えた。もう歩くことはない。運転席に座り、缶コーヒーを飲んで一息つく。眠い…だが、まだだ。頑張ろう、オレ、と己を励ます。布団に潜り込むことだけが願いだった。暖かい布団…恐らく3時間も眠れないだろうがそれでもいい…しかし、しかしなのである。白い悪魔はまだ許してくれなかったのである。雪道のチェーン走行で30kmほどしかスピードが出せず、ようやく高速に乗っても雪のためトラックの大渋滞。長野、岐阜、滋賀、京都と雪は降り続いた。最後の願い「暖かい布団」までも…嫁さんに直接職場に行くとメールする。途中、多賀SAでうどんだけ食べる。腹がギュルギュル鳴ってもっと食べ物を要求していたが、あまり食べると眠気に勝てなくなってしまう。仮眠を30分だけ摂り、眠気覚ましの薬を飲んだ。自分で顔面を殴りつけながら全部の窓を全開にして眠気と戦い運転し続ける。京都の天王山で霧氷がピンク色に染まるのを見、近畿道で日の出を拝む。松原で高速を下りたのが7時半だったか。吉野家で朝食を食べ、そのまま職場へ。なにをいったいどうやったのかまるでわからないが仕事を終えた。「終わった…」仕事の後の一服で達成感に浸る。「翌日の仕事が終わった時が登山の終わり」なのだ。久しぶりに我が家に帰った。飯をたらふく食って風呂に浸かる。体重計に乗ってみると普段13%ほどの体脂肪率が9%になっていた。そして、念願の布団。ああ、布団…極楽。

11264307
富士山を望む・蝶ヶ岳頂上にて

15265308_2
雪紋と穂高連峰・蝶ヶ岳ヒュッテ前にて

17265813a48bit_2
夕日に染まる雪・蝶ヶ岳ヒュッテ前にて

R001211511001_3
小屋で一緒だった方に写してもらった

ところで指先はやはり軽い凍傷になり、治るのに一ヶ月以上かかった。

« 南八ヶ岳縦走・冬 単独 | トップページ | 道場百丈岩〜大人のノジュカーズ »

登山」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 南八ヶ岳縦走・冬 単独 | トップページ | 道場百丈岩〜大人のノジュカーズ »