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2009年10月21日 (水)

後立山連峰縦走・秋 単独

06年9月23日〜26日

序章

 私は疲れ切っていた。かつて経験したことのない程の疲れ。もはや、言葉では言い表せない程の疲れである。先ほど白馬山荘で重いリュックをおろし、コンロと少しの水、カメラと三脚のみの軽い荷であったが、脚はすこぶる重い。小屋で半時間程も休んだにもかかわらず、全くと言っていい程体力は回復しない。これまでのハードな道のり、三日続きの寝不足、栄養不足。それ程の急坂でもないのに十歩も連続して歩けない。数歩歩いては立ち止まり、荒い息をついた。陽は既に大きく傾き、沈もうとしており、辺りの山々は優しい陽の光に照らされて穏やかな表情を見せていた。美しい。しかし、感動はない。感情が断ち切られたように、素晴らしい景色を見ても無感動であった。ただ、歩くのみ。登るのみ。あの頂に。顔を上げて山頂を見た。そこにやっと、望んでいたモノが見えた。標高を示す標識。あそこが頂上か。ふと、これまでの道のりのことが思い出された…

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唐松岳山頂にて

 どっかに行きたい、「なんか、とことんやってやりたい」という気持ちは燻り続け、アルプスに行こうと決めた。候補はいくつかあったが、後立山連峰に決めた。決め手は以前北岳で出会ったおばさんとの会話を思い出したのである。「あそこの縦走路は本当に険しくてねぇ、特に南の八峰キレット辺りは怖かったよ。アレに比べれば穂高の縦走は道がしっかりしているね」後立山の縦走は北アルプス三大キレットである大キレット、不帰キレット、八峰キレットのうち、後者二つを擁するなかなかのハードコースである。早速、地図とガイド本を買ってコースの選定をする。どの山に登りたいか。鹿島槍ヶ岳と五竜岳は登りたい。あと、ミーハー的な考えで白馬岳。で、白馬から鹿島槍の縦走と決めた。しかし、白馬岳は超人気の山である。土曜に行けば人混みは必至、それは避けたい。それで、コースを逆に、鹿島槍から登ることに決めた。時間的に考えると赤岩尾根を登るのが妥当であるが、ここはバスが無く、帰りはタクシーか徒歩になるため却下、鹿島槍は諦めて、遠見尾根から登ろうかとも考えた。遠見尾根から五竜岳へ、五竜から鹿島槍もよく見えるそうで、写真は撮れる。日程も随分楽になるため、気楽な写真山旅も悪くない…しかし、改めて考えてみた。もし、遠見尾根から五竜に登ったとして、そこから鹿島槍を見てオレは悔しくないだろうか?きっと、少しでも悔しい気持ちはあるだろう。「オレはあの頂に登っていない。チャンスはあったにもかかわらず」きっと思うはず。そう考えるとふっ切れた。鹿島槍は登る。ついでに爺ヶ岳も登る。登山口は扇沢、柏原新道を行く。問題はその距離であった。一日で扇沢から爺ヶ岳、鹿島槍、八峰キレットを越えてキレット小屋へ。地図上で、歩行時間が11時間半。私の体力から言えばかなり無理をしている。しかし、根拠もないファイトも湧いてきた。「やってやる。コレをやってやるんだ」

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五竜岳山頂にて

 待ちに待った9月22日の夕方。仕事から帰って天気予報を見る。気になるのは台風14号。ここ一週間天気予報は欠かさず見ていた。週間予報では長野地方の天候は思わしくなく、日程の四日間の内三日は雨、が続いていた。南から北上してくる台風の影響するとのこと、前日の予報までは芳しくなかったが、出発日の22日の予報では大きく好転していた。台風は逸れるようだ。用意してあった荷物をアトレーに積み込み、17時30分出発した。さすがに独りの長距離運転は退屈で、「一人ツイストアンドシャウト」とか歌ってみたけど、なんか寂しくなるだけだった。他にも気分を変えようと懐かしのアバやサイモン&ガーファンクルをかけて気を紛らせているうちに高速を降り、一般道を扇沢へ。大町温泉郷を越えて大町アルペンラインに入ると夜も遅く、車は全く走っていない。一度車を停め、ライトを消して見上げてみた。満天の星空だった。

9月23日

 扇沢の手前、柏原新道の登山口駐車場に着いたのは23日、0時30分だった。満天の星空を見て写真を撮りたい気持ちを抑え、眠った。4時に起床、快晴だった。朝食を取り、準備を整え、興奮と、期待と、少しの不安を持って4時50分、いざ出発。すぐにしんどくなるが「登り始めはしんどいもの」と自分に言い聞かせてケルンまで一気に登る。ここまではモミジ坂と呼ばれる急坂で、ケルンからは勾配が緩くなる。ケルンで一休み、これまであった木々がなくなって眺めがいい。まず目につくのはそれまでも木の間からチラチラ見えて気になっていた後立山南部の峰々。名前は分からないが、地図と照らし合わせてみると、針ノ木岳は分かった。頂上がようよう、赤く染まりだした。その薄紅色の稜線を右、北の方へたどるとスバリ岳、赤沢岳、鳴沢岳、岩小屋沢岳…そしてその先には、目指す種池山荘が小さく見えた。下には扇沢の駐車場も見える。この天気、アルプスの景観、清々しい朝の空気、体調もいい。その上、柏原新道はかなり整備がしっかりされていて歩きやすく、歩はどんどんはかどり、8時に種池山荘に着いた。標高差1120m、地図上3時間50分を3時間10分、重い荷物を担いでいる割にはまずまず快調。種池山荘で一服して歩き出すと絶景の連続であった。尾根道に出て視界が開けたのである。まず目についたのは後方にそびえる剱岳。立山から見た尖った剱とは全く違い、ギザギザである。そして行く手には鹿島槍ヶ岳。双耳峰がいかにもカッコいい。爺ヶ岳は最盛期にはまだ早いが逆光の紅葉に彩られて目前にそびえていた。そして南の雲海の彼方には槍穂高の姿も見えた。私は早くも有頂天になって写真を撮りまくった。ここで知り合いになった人がいて、後に撮った写真をメールして頂いた。少しの間だけだったが同行した。

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爺ヶ岳頂上にて。

 爺ヶ岳に着いたのは9時40分。南峰・中峰・北峰と三つの峰からなり、最高峰は中峰の2669.8m。先に南峰に登り、後で北峰も登ろうと思っていたが取り付き点が分からないまま通り過ぎてしまった。目的の山の最初のピークを踏んだ嬉しさと、周りの景色の素晴らしさに30分もいてしまった。種池山荘までの登りで稼いだ時間は爺ヶ岳で既に使ってしまったことになる。当初の予定では爺ヶ岳を10時発としていたが、実際は10分遅れてしまい、今日の日程は今後、どんどん、ずるずる遅れていくことになる。しかし、天候もよく、気分も最高で、まあなんとでもなるわ、と至って楽天的であった。

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爺ヶ岳を振り返る。

 爺ヶ岳から一時間歩いて11時8分、冷池山荘に着。ここで体重を少し落としたり(大をすること)、池にいたサンショウウオを写真に収めたりと半時間いて35分発。ここから鹿島槍ヶ岳の本格的な登りになる。まず、前衛の布引山を越えないといけない。山荘を出ると布引山が大きく見えて、鹿島槍の双耳峰と合わせて三本槍に見えた。登りが結構辛く、この頃には少し時間の遅れが心配になってきて焦るのだが、なかなか脚ははかどらない。昨日まで仕事していて、長距離運転、そして睡眠時間は三時間程。リュックも重く、昼食もろくに摂っていない。しかし、そんなことは最初から分かっていたことで言い訳にはならない、と自分に言い聞かせ、12時55分、布引山を越える。そして一時間後の13時55分、ついに憧れの鹿島槍ヶ岳の頂上に着いた。標高2889.1m、雲の上、頭上は蒼い空が広がるばかり。登ってきた道の鞍部には雲がかかり、その向こうに爺ヶ岳の三峰が見える。剱岳は相変わらずどっしり鎮座しており、行く手には鹿島槍北峰と、ガスの漂う稜線の向こうに五竜岳が見えた。私は無限の幸福の中にいた。ああ…来て良かった…

 これで、これから先大雨やガスで景色が見えなくとも、私は後悔することはないだろうと思った。半時間程後頂上を辞し、難所の吊り尾根へ。しかし別に危険は感じられず、北峰にも登った。後に控える八峰キレットを思うと急ぎたいのだが、やはり双耳峰の片一方を残す、というのは気が引ける。両方登っての鹿島槍登頂だろう。北峰からは流れるガスの中にキレット小屋を見つけ、案外近いな、と感じた。北峰の分岐に戻ったのが15時12分、予定より1時間少し程も遅れている。太陽がだいぶ西に傾いている中、霧の八峰キレットへ。脚が疲れのためいうことをきかずに危なっかしい所もあったが、思っていたよりも簡単に抜けてしまった。それどころか、登りを歩くよりも岩場を歩く方が楽しく思えた。地図上では2時間とあるが、1時間程でキレット小屋に着。少々拍子抜けだったがホッとした。受付を済ませ、コーヒーを沸かし、そして煙草を一服。当に至福。四日間の縦走で一番ハードと思われる初日を無事に終えた安堵感。今日一日の行程を思い返し、晴天をもたらせてくれた山の神サマに感謝。

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雲海・キレット小屋より

 キレット小屋は本当にエライところに建っている。よくぞこんなところに小屋を建てたな、と感心する。東西は切り立った崖、南北はそびえる岩峰である。おかげで景色はあまりよろしくない。そこでカメラと三脚だけ持って、少し北の方に歩いた。岩峰を二つ程トラバースすると鹿島槍の双耳峰と五竜岳が少し覗いて見える箇所に出た。そこで撮影。夕陽に照らされる鹿島槍。カッコイイ。もう、この山のトリコになってしまった。二本の尖峰が鬼の角のように見える。しかし、決して恐ろしいのではなく、威厳を持って優しく、少し傾いているのは首をちょっと傾げて思案しているようにも見える。雪をまとった時期に見るとまた別の感じを受けるのだろう。剱岳にもう、日が落ちようとしている。黄金色の雲海の上に顔を出しているシルエットの剱岳と立山連峰。この景色もまた、秀逸である。つーかね。オレごときの文章力ではもはや表現のしようがない。いや、もう凄かってん。ほんま。黄金色の雲海は徐々に紅色に変わっていき、陽光の一雫が剱岳に沈んだ。風もなく静かな景色は更に静謐さを増す。鹿島槍は途端に暖かみを解いて岩峰としての厳しさを取り戻し、暖色の雲海は蒼く変わり、鉛を含んだように沈んでしまった。ただ、空のみがまだまだ温もりを持って穏やかな表情を見せていた。

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夕陽に映える鹿島槍ヶ岳

 さて、小屋に戻るか。ホンマええもん見せてもらったわ。満足して小屋へ戻り、夕食の準備をした。今回の縦走では食事を小屋で頼まないことにした。この時期、朝食夕食の時間が日の出・日の入りの時刻と重なるのと、自分に負荷を掛けることで新たなステップを踏もうとしたのだ。フリーズドライの米と具。一番おいしそうなピビンパを選んだ。湯を注いで待つこと20分。できあがった白ご飯にピビンパの具をかけて混ぜる。いい匂いだ。昼食はカロリーメイトと菓子しか食べていないので大層腹が減っている。食べる。不味い…あれ…米がえらく不味い。以前西表島で食べたアルファ米はおいしかったのに。卵スープをかけてみても不味さは変わらず、無理矢理口に運んで飲み込む。食事は重要だ。不味かろうがカロリーを補給しないと。しかし三分の二程食べたところでギブアップ。これ以上食ったら吐いてしまう。仕方ないのでまたカロリーメイトと菓子を食べた。カロリーメイト、うまい…

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剱岳に沈む夕陽

 すっかり夜になった19時、星を見た。うおう。今夜も快晴、月もない。早速小屋を出て明かりの届かない所で星の撮影。今回は天の川を写してみようと、短い時間の撮影も行った。それにしても…素晴らしい星空だ。流れ星もいくつか見られた。一度、真上から西方にむかってものすごく大きな流星があった。太く、青白い尾が中天から剱岳までハッキリ残った程だった。20時半過ぎ、さすがに寒くなって小屋へ戻った。眠ろうとしたが興奮のためか寝付けず、結局23時頃再び起き出して小屋の前で星を見ていた。

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キレット小屋より剱岳方面

9月24日

 翌朝、24日。4時起床。睡眠時間は3時間程か。快晴。しかしダルい。気分が重い。しかし、今朝は早い時間に鹿島槍のよく見える場所まで行きたい。朝の光で鹿島槍の撮影をしたいのだ。5時12分に小屋を出て、15分程歩いた所で朝焼けを撮り、7時15分、北尾根ノ頭の少し手前で鹿島槍の本格的な撮影をした。昨日の南側から望む鹿島槍も良かったが、北側から見る鹿島槍も趣が変わってよろしい。二本のツノの間隔が狭まって傾き加減が増し、余計、思案気に見える。

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朝の剱岳・キレット小屋付近より

 北尾根ノ頭を越えるといよいよ次の山、五竜岳の圏域に入る。G5に着いたのは9時8分。ここら一帯、五竜を挟んだ前後は痩せた岩尾根で岩峰が続く危険箇所である。とはいうものの、私にとっては昨日の八峰キレット同様、登り坂よりはこういった鎖やハシゴの連続するような箇所の方が楽しい。ちなみG5のGはグラードの略で岩尾根を意味するものらしい。G4、G3(五竜岳)とあって、G0まで続く。こういう専門用語の箇所を歩くのは、なんだか自分がいっぱしのアルピニストにでもなったような気分になるが、さして危険も感じず、目印も万全で、なんなく通過できる。無論、天候次第で変わってくるだろうが。

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五竜岳より進行方向、北を望む

 G4を過ぎて五竜岳の最後の登りはきつかった。稜線から50m程離れると、そこが五竜岳の頂上だった。10時27分、小屋を出て5時間15分、地図上で4時間だから何度も撮影で休憩したとはいえ、少し遅すぎるか?しかし、今日は唐松岳までで、ここ五竜岳で行程の半分はこなしている。全然、余裕の気分だった。そして、おお…この五竜岳からの眺め…絶景でごわす。まっこと、素晴らしか眺めぜよ。…薩摩弁や土佐弁を使って強調してみたが…ダメか…そして昨日の鹿島槍と共に今回是非とも登頂したかった山である。本当に、大満足。ワシは吼えた。2814.1mの高みで。私以外誰もいなかったのを幸いに。気持ちよかった。しばらくすると女性の単独登山者が登ってきた。その人はなぜだかモンチッチのぬいぐるみを持ってきていて写真を撮っていた。私もせっかくなのでその方に写真を撮ってもらった。興奮もだいぶ冷め、改めて眺め入る。なんといってもお気に入りの鹿島槍。男前。その奥には槍ヶ岳をはじめ北アルプス南部の山々、少しずらして南東の方角には富士山と南アルプス。そして西に剱岳。昨日よりもギザギザが減って、その分鋭さが増している。北東の方面には雲の間から白馬の街と遠く妙高・戸隠の連峰が見える。どれが何山かはよくわからないが地図で照らし合わせてみるとひときわ目立つ台形の山が高妻山・乙妻山だということが分かった。そしてこれから進む北には長々と稜線が伸び、手前に五竜山荘、奥に今日の宿、唐松山荘が見える。そのすぐ奥は唐松岳で、その奥には目指す白馬岳があった。鹿島槍からも見えたが、よりくっきりとその白く美しい山容が見えた。白馬岳か…なるほど、白いな。(後にこの白い山は手前の鑓ヶ岳と判明、自分の馬鹿さ加減に呆れることになる。白馬岳は白くない。)白馬岳はそれまでそれほど登ってみたい、という感情はなく、ついでにこの有名な山にも登っておくのも良かろう、程度だったが、この時ハッキリと登りたい、という感情が湧いた。

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五竜岳G2より鹿島槍ヶ岳

 そのうち山頂は賑やかになった。オバサマ一個師団の到着である。苦手なので早々に腰を上げる。といっても11時26分、たっぷり一時間もいたことになる。三十分程で五竜山荘に着き、ここで牛丼を頼んだ。カロリーメイトと菓子だけではさすがにきつい。800円もしたが、その美味いこと。山入りして初めて口にしたまともな食事だった。五竜山荘を12時55分発、ここから先唐松山荘までは比較的歩きやすい道が続くはず、なのだが、疲れた脚と体には少しの登りもきつい。ガスで景色が見えなくなり、強い風が吹き始めた。いつの間にやら大黒岳を過ぎ、唐松山荘手前の牛首にさしかかった。ここは鎖が掛かっている岩場であるが、大したことはない。それよりもガスが切れて唐松岳が見えたのが嬉しい。あと少し。

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白馬の町と高妻山・五竜岳付近より

 唐松岳頂上山荘に着いたのは15時50分、五竜山荘から2時間55分。地図上では2時間半で、半時間程の遅れであるが、ガスで殆ど撮影をしていなかったことを思えば、相当に遅い。疲れは相当に溜まっていた。唐松山荘ではガスはなく、再び快晴、受付と休憩の後、唐松岳へ。山荘の近くでまだ咲き残っているコマクサを二株見つけて嬉しくなった。山頂に着いたのは16時48分。時間が遅いのでほとんど人はいない。いたのは二人組の熟年男女。中判カメラと重い三脚の本格撮影らしい。

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雲海に浮かぶ剱岳・唐松岳より

 さて、この唐松岳山頂からの景色も言うまでもなく、素晴らしい。五竜岳が格好良く見えるはずだが、あいにく雲海が厚くて山頂付近しか出ていない。しかし、その雲海が実に良かった。昨日キレット小屋で見た時は風がほとんど無く穏やかであったが、今日は風もありボリュームもあって少々荒れた海を思わせる。そしてその雲海が夕陽に染まり、その夕陽の方角には当然、剱があって…剱岳は鋭さを更に増し、神々しい…ぬふぅ。もうなんしか凄いねん。わかるやろ。

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沈む夕陽が鏡餅みたいな形になった・唐松岳より

 小屋に戻って夕食。持ってきたレトルトは昨日で懲りてパス。もう一度挑戦してみても良いのだが、また残すと水分を含む分、荷物が重くなってしまう。奮発してカップヌードルを頼み、それとカロリーメイトと菓子。全く、体に悪い。食後、煙草を吸いに表に出た。この晩も快晴で満天の星空。写真を撮りたいと思ったが堪えて寝床へ。20時就寝。しかし、23時に目が覚めてしまった。目が覚めると星が気になって仕方ない。結局、撮影することにした。小屋から離れて唐松岳の登りの手前で撮影。昨晩より風がきつく、寒い。しかし、満天の星には感動だ。シャッターを開いてゴロリと横になり、星を眺め、これまでの行程を思い返した。爺ヶ岳から鹿島槍、八峰キレットを挟んで五竜岳、そしてこの唐松岳。もう十分だ。見たいと思っていた、もし、天気が悪くても、一目でいいから見たいと願っていた鹿島槍と五竜は飽きる程見られた。そしてその頂上からの眺めも堪能した。剱に沈む夕陽も見られた。雲海も良かった。星もこの通り、天の川も昴もハッキリ見える。見たいと願っていた景色は行程半ばにして全て見られた。満足感でいっぱいだった。無限の幸せにまた、浸っていた。明日は初っぱなに八峰キレットと並ぶ難所、不帰ノ嶮がある。そのすぐ後は天狗の大下り(登り)。しんどいやろな…そんなことを考え、1時半頃、撮影を終え、再び寝床にもぐった。

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9月25日

 25日、縦走三日目。4時起床。今朝も快晴。準備を済ませ、4時45分に小屋を出発、5時5分に唐松岳山頂にて撮影。相変わらず爽やかにして神々しい。

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朝焼け・唐松岳より

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唐松岳山頂より白馬方面。

 こんな風景を見せられたら興奮して写真を撮りまくるところだが、この日は朝から頭がボーっとして、受ける感動は薄かった。連続する絶景に慣れてしまったこともある。しかし、やはり疲れ、寝不足、栄養不足が原因であることは間違いない。気持ちは重く、体も重い。いつものウキウキした気分はまるでなかった。何せ前日の睡眠時間は4時間程、その前日も4時間、その前は3時間である。食事もカロリーメイトと菓子ばかり、まともだったのは前日の昼食の牛丼のみ。ちなみにこの山行を終えて温泉で体重を量った時、58kgだった。山に入る前は62kgだったので4kg減っていた。体重が60kgを切ったのは大学生の時以来のはず。痩せたい方に是非オススメの縦走プランである。

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唐松岳より東方面

 士気が上がらないまま難所、不帰ノ嶮(かえらずのけん)へ。なるほど、足を踏み外すなどの失敗をすれば死亡確実の険しい道だが、気をつけてさえいれば大丈夫、人気コースなので目印も多い。それよりも登りが非常に辛い。行く先に登りを見ると気が滅入った。不帰ノ嶮を越して不帰キレットに着いたのが9時30分、地図では2時間半で20分遅れだがこの疲れようでは仕方ない。

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不帰ノ嶮より剱岳

 不帰キレットは標高2411mで爺ヶ岳より先、これ程低く降りる箇所はない。それほど深く切れ込んでいるのである。下った後には当然登り、いよいよ天狗の大下り(登り・しつこいが)だ。もう、遮二無二登った。頭は真っ白。ただ辛い。キツい。やがて、登りきった。リュックをおろし、へたり込む。約270mの急登だった。この登りは今でも思い出すとゲロを吐きそうになる。ここから不帰ノ嶮を眺める。うわあ、こんなとこ歩いてきたんやなあ、と改めて身震いする。そこを歩いている時には全然思わなかったのだが。カメラを向け、ファインダーを覗いていると今、通過している登山者に気付いた。“えっ!?あれがヒト?”あまりの小ささに驚く。カメラをおろして改めて見てみる。小さく蠢く人。中程に二人、下方に二人。虫か塵のようだ。なんと小さいことか。いや、山が大きいのか。こんなにも、デッカイのか…そのスケールに新鮮なものを感じた。これを越えてきた。こんな山をいくつも。気分が少しよくなった。それは、先に当分大きな登り坂がないのを見て知っていたということもあるが。

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不帰ノ嶮を登る登山者が二名います。わかりますか?

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答・うーん、これでも分かりにくいな…

 ここからは気持ちの良い稜線歩きを楽しめそうなのだが、やはり疲労の蓄積で全く楽しくない。その上風がきつく、寒い。天狗の頭を越えて11時30分、天狗山荘に着いた。ここで昼食を頼もうと思っていたが、営業を終えていた。これにはかなり落胆した。ここで飯を食うことを楽しみに頑張ってきたのに…いつの間にやらすっかり小屋頼みになっていた。仕方なしにまたカロリーメイト。もう、うまくもない。しかし心許なかった水は補給できた。屋根のある所で休憩できた。さあ、あと一踏ん張りだ。と気合いを入れても元気は3分も持たなかった。体はガタガタ、脚はよろよろ、頭はモーロー…かすかに硫黄の匂いがした。やがてはっきり匂ってくると、少し先で白馬鑓温泉に下る道と分岐するのを思い出した。温泉…とてつもない誘惑だった。歩いていてもちっとも楽しくない。少しの登りでもすごく辛い。地図で見てみると2時間半下れば温泉に出るようだ。白馬山荘よりも近い上に下りだ。おまけに翌日の行程も楽になる。良いことずくめに思えた。行くか、温泉。白馬にはもともと、それ程執着していたわけでもないし…やがて分岐に着いた。硫黄の匂いがぷんぷんする。ふと、前を見た。見事に巨きな三角形。真っ青な空に真っ白い山肌がまぶしい。白馬槍ヶ岳(しろうまやりがたけ)であった。私がずっと、白馬岳と間違えていた山だ。“来い”。その山が呼んでいるような気がした。登ってこい、と。そうなんだ。私は白馬岳にも登ると決めていたんだ。楽をしてどうする。後で悔やむのは嫌だ。らくをするなんてゆるさない。私は真っ直ぐに進んだ。

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青い空に映える白い鑓ヶ岳・手前、左手の登山者と山の大きさを比べてみて下さい

 鑓ヶ岳の白さは石の白さだった。それまでの褐色の石から突如、白い石に変わる。キッパリとした変わりようであった。そして変わった所から鑓ヶ岳の登りが始まった。辛い登りだった。少し登っては立ち止まり、膝に手をついて荒い息を吐いた。それを何度も繰り返した。そしてようやく、頂上に着いた。13時20分だった。そこからは白馬岳がよく見えた。白馬山荘も見えた。あそこまでだ。あそこまでがんばれば、いい。振り返ると越えてきた唐松、五竜、鹿島槍、爺が勢揃い、その奥には槍穂高の姿も見えた。フリーズドライのオニオングラタンスープを飲んだ。美味すぎて眠くなってきた。半時間程で腰を上げて次の山へ。

 白馬三山2つ目は、なだらかな長い山頂部を持つ杓子岳だ。杓子岳を越えたのは15時過ぎ、ここから下って最低鞍部に着いたのは15時53分だった。陽はだいぶ傾いている。ここからは白馬岳の登りだ。ここから200m、登らないといけない。最後の力を振り絞って、なんて表現は生ぬるい。最後の力なんてとっくに枯れていた気がする。なぜだか、勝手に脚が進んで行く。頭の中では、来る時に聞いたからであろう、アバのダンシングクイーンやチキティータがぐるぐるまわっていた。それと自分の呼吸の音と、心臓の音。やけに大きく聞こえる。景色は憶えていない。ただ、白馬山荘にヘリコプターが降り立って荷物を下界に下ろしていたのを憶えている。白馬山荘より手前の頂上山荘にしようかとも考えたが、分岐から遠く、歩く距離は同じくらいに思えたので、やっぱり白馬山荘にした。そうして、やっとこさ、16時51分、白馬山荘にたどり着いた。小屋に入って受付をするまでたっぷり五分はかかった。受付の女性の方は「何もかもお見通し」といったにこやかな顔つきで私が腰掛けているのを優しく見ていてくれた。ようやく、喋れそうな案配になって受付をした。夕食も頼んだ。当たり前だ。夕食は18時。あと一時間ある。私は山頂まで行ってこようと思った。宿と食事が決まったことの安心から少し元気が湧いた。荷物も置いておける。

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白馬岳より鑓ヶ岳・杓子岳

 しかし元気なのは3分だけだった。ウルトラマンじゃあるまいし。脚が真っ先に悲鳴をあげ、先ほどまでと同じように数歩進んでは立ち止まり、の繰り返し。頭も朦朧とし、オレ、何してるかな…なんでこんなツラい目にあってまで登るかな…頂上が見えた。あそこには、なにもない。しっている。なのになんでのぼるかな…達成感を味わいたいから?今回は違う気がする…意地、かな…うん、こんかいは、そんなようなもんかな…着いた。独りであった。ありったけの声で、吼えた。そして崩れるように膝をついた。標高2932.2m、白馬岳の山頂は今回の縦走で最も高い地点であった。私はのろのろと持ってきた水を沸かし、コーヒーを淹れて飲んだ。少し、落ち着いた。ようやく、景色を眺めることができた。夕陽は目前の旭岳に沈む寸前だった。周りが紅い。峰々は穏やかで、最も美しい表情を、私独りだけに見せてくれていた。しかし、私は無感動であった。達成感もなかった。ただ、今日はもう登らなくてもよい、という安堵感があるだけであった。コーヒーを飲み終え、何枚か写真を撮って小屋に戻った。

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細い月・白馬岳より

 楽しい夕食である。食堂に入るなり、腹はだらしなくぎゅるるると音をたて、口の中は唾液でいっぱいになった。さもあらん、まともな食事は前日の昼食の牛丼だけなのだから。おかずはエビフライに煮魚。漬け物にサラダ、果物。みそ汁がうまい。がつがつ食べる。私は山小屋での食事はめいっぱい食べる。ご飯3杯食べる。よく、山での食事は腹八分目、などといわれるが知ったこっちゃない。お代わり自由なのだから食べなきゃソンなのだ。しかし、この時は食べられなかった。胃腸も弱っているのか、1杯食べるのがやっと。おかずが半分残ったが、これはゆっくり、全部頂いた。それでお腹いっぱいになった。なんだかソンした気分。食後、煙草を吸いに表へ。空を見上げる。満天の星空だ。しかし、感動はなかった。見飽きた、という表現が正しいのか。なんだか、おこがましいような気がするが、ずっと晴れていてくれてありがとう、の感謝の気持ちはあった。すぐさま、寝た。ようやく、本能の赴くままに、眠いから寝た。ケータイの充電が切れたためアラームが使えなかったが、気にせず寝た。

9月26日

 26日。2時50分に目が覚めた。朝食を済ませて軽い荷物だけで再び白馬岳山頂へ。気分は悪くない。それ程疲れも感じない。やはり食事と睡眠は大切だ。頂上は寒かった。雲が出ていたが、いい朝焼けが見られそうな雰囲気。残りフィルムが半端だったので適当に撮り終え、ここ一番のベルビアへ。しかし、待てども御来光は現れず、日の出時間からだいぶ経ってしまった。しかし、良い。いいんだ。南には杓子岳、鑓ヶ岳、唐松岳、五竜岳、鹿島槍ヶ岳と登った山々が重なっている。全く、苦労させられた。その奥には槍穂高の姿もあった。そして西にこの縦走中、ずっと見守ってくれた剱岳。トンガリがまた、更に増してそびえている。東には妙高・戸隠の連峰とこれから下りる栂池が見えた。さあ、下りるか。で、気付いたのだが、荷物は小屋だ。帰りもここを通るのだから、全部持ってくればよかったのに。相変わらず抜けとるなあ、オレは。と苦笑しながら小屋へ戻り、リュックを背負って三度、白馬岳山頂に引き返した。改めて今まで越えてきた山々を見る。なんだか喉の奥から自然と言葉が…「ありがとう!!」と叫んだ。その瞬間、私の背中を何か太いモノが走った。涙がでてきた。「ありがとう!!」堰を切ったように止めどなく涙が溢れ出た。その涙を拭いもせず、私は愛着ある山々に背を向け、歩き出した。歩きながらも、しばらく泣いていた。

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白馬岳より南を望む。杓子岳、鑓ヶ岳、唐松岳、五竜岳、鹿島槍ヶ岳と越えてきた峰々が並ぶ。

 誰もいないモンだから調子に乗って号泣していたのが7時30分。稜線はガスと強風に見舞われ始めていた。しかし、下りの気楽さ、そして胸のつかえが取れたかのように清々しかった。それでも、一晩位で蓄積された疲労が取れるはずもなく、脚は重い。8時8分に三国境を過ぎ、8時40分に小蓮華山に着いた。ここからの白馬三山の眺めが良い、ということで、当初の予定ではなるべく早い時間に来るはずであった。ガスで何も見えない。でかいケルンがあるので風が防げる。休憩することにした。コーヒーを飲んでいるといつの間にやらガスが切れ、白馬三山が姿を見せていた。んん、さすが人気があるだけあって、かっこいいな。しかし、オレは鹿島槍の方が好きかな。と勝手な感想で一人で納得していた。ぐんぐん下り、白馬大池山荘に10時25分着。ついに雨が降ってきた。

 小屋は営業していないが休憩はできる。雨を避けてまたコーヒーを飲んだ。今朝登ってきた中年の男性がいて、話しかけられた。「下りですか?」「ハイ」「ついに雨になりましたね」「そうですね」「昨日までは良い天気だったのですがねえ…」「ええ、私が山に入って三日間、ずっと快晴でした」きっとイヤなヤツと思われたのであろう、中年の人はそれから喋りかけてこなかった。わはは。すまん。小屋を出る時に挨拶をしたが、ラジオで演歌を聴いている、その背中がやけに寂しく見えた。白馬大池は眺めの良い所と聞いていたが、ガスで何も見えない。それどころか、安山岩のごつい岩の道でたいそうツラい。結構こたえる。11時10分、でかいケルンの立つ乗鞍岳山頂。ここが今回の縦走の最後の山である。しかし、別になんの感慨もない。雨は止んだが強風とガスは相変わらず。11時58分、木道に出た。天狗原である。ここは良かった。ちらほら紅葉も見られたし、ガスの切れ間から鹿島槍や白馬も望めた。なにより、木道は歩きやすい。後は本当に下るだけ。一時間後の12時54分栂池ロープウェイ乗り場に到着。

 終わった…ここでは少しジーンときた。缶コーヒーでも買って煙草を吸いながら余韻に浸ろうかと思っていたが、カッパをたたんでいる時にロープウェイが出るとのことで、慌てて乗った。ゴンドラを乗り継いで、栂池高原に降りた後、大糸線の駅まで歩こうと思っていたのだが、どこぞの駅まで行くバスがあったので乗った。着いたのは当初予定の白馬大池駅より更に二駅北の南小谷とかいう駅だった。電車が来るまで時間があったので、近くのラーメン屋で腹ごしらえをした。電車に乗ると眠いのなんの。しかし、乗り過ごしてしまうと信濃大町発の最終バスに乗れなくなるので我慢。この大糸線からは後立山連峰が望めるはずだが、霧で見えず、手帳に文章を書いて眠気をやり過ごした。信濃大町で降りると再び雨。豪雨だった。バスで扇沢へ。車を停めてあるのは扇沢のより15分程歩いた手前なので、そこで降ろしてもらえないか、と運転手さんに頼んだところ、困った顔をされた。タクシーじゃあるまいし無理か、とそのまま眠りに就いた。しばらくして運転手さんに声を掛けられて起きてみると、周りにお客がいなくなっていた。運転手曰く「あなた一人なので、爺ヶ岳の登山口で降ろせますよ」とのこと。いい人だ。駐車場にて4日振りにアトレーと再会、大町温泉郷の薬師の湯にてアカを落とし、大阪まで、睡魔と戦いながら帰った。翌日より10日連続の勤務、辛かったが、しんどい時にはこの縦走を思い出して耐えた。

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